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学生に薦める本 2025年版
臼井 陽一郎
『人類の深奥に秘められた記憶』
- モアメド・ムブガル・サール 集英社 2023年
ポストコロニアリズムについて深く理解していくための、本当にすばらしい文学作品。実に久しぶりに感動に震えた。フランスとアフリカとナチとアルゼンチンがひとつながりの世界となって、<伝説の作家>がヨーロッパに突きつけようとした知的挑戦の意味が解きほぐされていく。ファンタジーとポルノとオカルトが渾然一体となりながら、ヨーロッパのアフリカに対する植民地支配と、ナチのヨーロッパ支配が交差していく。これほどの文学作品にはなかなか出会えない。まさに奇跡の作品。
『4321』
- ポール・オースター 新潮社 2024年
ジェットコースターの疾走感でもってアメリカの現代史を個別具体の生活世界から優れたルポルタージュ映像作品のように読者の心の襞に映写してくれる、もの凄い作品。オースターは読み進めてきた作家のひとりだが、どうしてもストーリー性の卓越さに気を取られ、彼が描き出す現代アメリカ社会の実相を考え抜くという部分が読んでいて抜け落ちてしまうのだが、本書もやはり、そんな感じになってしまっている。ただ不思議なことに、読み終わって数年経つと、オースターの作品に想い出すのは、彼が描きだしたアメリカ現代社会の実相についての感覚的イメージであって、実に不思議な思いがしている。筆の達人とは、こういう筆致の作家のことを言うのだろうか。
『ポータブル・フォークナー』
- ウィリアム・フォークナー 河出書房新社 2022年
特殊アメリカ的なものを描こうとしながらそれを超え人間存在の普遍に手を触れようとする文学作品(集)。フォークナーの世界は実に多面的で、マジックリアリズムの世界だという表現を書き記してしまうと、もうそれだけでフォークナーの価値を毀損してしまっているようで、なんとも心が引けるのではあるが、しかしそれでも、フォークナーが創りだした(というよりも発見したと言うべき)ヨクナパトーファ郡を映像化するという作業が、読者一人ひとりに委ねられていると考えれば、やはりマジックリアリズム的要素をどのようにイメージしていくのかが、ポイントになるとおもう。退職するまでに、<サルトルのフォークナー論を読む>というようなゼミをやってみたいのだけれども、無理だろうな(現代ヨーロッパ政治の研究者がなぜそんな授業をするのかとクレームがよせられたら、まったくもって返す言葉がない)。
『ストーナー』
- ジョン・ウィリアムズ 作品社 2014年
これまで何度も推薦してきた一冊。本学を定年退職するまでに、ひとりでよいから、本書を通読してくれる学生に出会えないものかと、そんなささやかな願いをもって、推薦しています。ジェンダー的視点からはいくらでもこき下ろせる作品。しかし、そんな<不道徳>な作品がけっこう好きであり、だから村上春樹も中上健次も読み続けているのだが、ジョン・ウィリアムズのこの『ストーナー』の場合、甘さ・哀しさ・魅力に嫌悪といった生きる意味への問いがバッドで腹部を強烈に打たれたかのような痛みとして押し寄せてきて、たしかに読んでいてかなりきついのではあるが、学術研究に一生を捧げたものだけが理解できる箇所も本書あちこちにあり、少しだけほくそ笑んでいる(村上・中上の世界には流石に実体験として理解できる部分は存在しない)。
『敗北を抱きしめて : 第二次大戦後の日本人』上巻
- ジョン・ダワー 岩波書店 2001年
『敗北を抱きしめて : 第二次大戦後の日本人』下巻
- ジョン・ダワー 岩波書店 2001年
特殊日本的なものを描こうとしながらそれを超え人間存在の普遍に手を触れようとした歴史研究。パンパン・闇市・カストリに、西田幾多郎全集を買い求めるため三日三晩徹夜して並ぶ人びとの姿、そして飢餓に苦しみながら赤子をおぶり食べられる草を探し求める若いお母さんの肩越しにみえる壁の落書き<初戀とは何ぞや?>まで。世界中のどこにでも存在する戦争後の人間の姿が見事に描き出されている。カウンターに行儀悪く座る太宰治のあの瞳も忘れられない。日本がアメリカに占領された6年8ヶ月の間に、日本の文学も日本の音楽も日本のマンガも、すべて解放され表現力を発揮しはじめたのだということに、思いを馳せていきたい(アメリカが偉かったわけもなければ、日本人が凄かったわけでもない、当時のあの状況で表現者として闘った個別具体の当時のひとりひとりが凄かったのだと、蛇足的に補足)。
『サハリン島』
- エドゥアルド・ヴェルキン 河出書房新社 2020年
小説家になろうと藻掻き心砕かれていた著者ヴェルキンを、そんな泥沼の窒息から助け出してくれたのは、芥川龍之介の作品なのだという。日本とリンクした現代ロシア文学の作品。現代ロシア文学はどこに向かおうとしているのだろうか。いま抱えている仕事を2025年度中にすべて終わらせたら、それ以降はいっさい仕事を入れず、ただひたすら現代ロシア文学を読んでいきたいと、ほんとうに想っている。松下隆志『ロシア文学の怪物たち』という一冊が、そのような想いに駆り立ててくれた。ただなぁ、ヨーロッパ極右の研究をEU政治研究に引きつけて進めていくための方法論的道筋を付けるという野心も捨てがたく、迷っているのだが、ふと、そのような研究に必要な思想的次元をイメージするに、現代ロシア文学に埋没する数年間はけっして無駄にはならないのではないかとも、感じている。そして、定年退職後の自分的プロジェクトの展開になんらかの見通しを付けてくれるのではないかとも、想うのであるが、どんなものだろう(あと、現代中国文学の読みも、忘れてはならないのだが、それについては、また別の機会に)。
『白人になれない白人たち : 中欧の反リベラリズムとレイシズム』
- アイヴァン・カルマー 彩流社 2025年
いまヨーロッパで生起していること(極右の台頭)を理解するには、中欧諸国の蠢きに真正面から向き合い、その奥底へ潜り込んでいかなくてはならない。本書はそのための一助になりそう。カミュとルブールの『ヨーロッパの極右』というすばらしい翻訳書(英訳書は挫折していた。情報量が多すぎて、数ページ読むごとに真夏のアスファルトに水をまくような感じを覚えてしまった)に触発されていたという面はあるが、本書のような研究書的ルポルタージュ的エッセイは、EUのような空に浮かんだ民族的文化的空気感の希薄な存在を研究している自分にとって、まさに待ち望んでいた読書体験を与えてくれている。ただし、現代ヨーロッパの理解にとって必読とは言いづらい。やはりまずは学術的方法論のしっかりした政治史・現代政治論を数冊読みつつ、そのうえで、本書の存在意義を味わってもらいたいとも想う。
※2025年度の推薦本は図書館内のトピックコーナーに配架されています。(一部購入できないものを除く)