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学生に薦める本 2025年版
越智 敏夫
その昔、西新宿の雑居ビルの3階に変なバーがあった。鉄製のドアにマジックの手書きで「火の子」と書かれていた。カウンターとテーブル4つほどの小さい店で、女性店主は「いくさん」と呼ばれていた。フルネームが内城育子さんだったと知るのはだいぶあとになってからである。店は2002年に閉めて、内城さんは2016年に83歳で亡くなったとのことだが、1980年代なかばから1990年代のおわりにかけて、僕のような若輩者でも本当によくしてもらった。
いつも政治学の大先生たちに連れられて二次会か三次会で行っていたので、内城さんのお店に着くころにはかなり酔っている。そこでさらに飲むので店に入った記憶があっても出た記憶がないことも多かった。支払いはいつも先生たちで僕は1円も払ったことがない。そもそも額さえ知らない。
ある晩、テーブルで先生たちと映画の話をしていたら、隣のテーブルのおっさんが僕に絡んできた。ねばかったけれど暴力沙汰にはならなかった。話しきった感じのおっさんが帰ったあと、内城さんは僕に「越智さん、熊井さんと何を話してたの?」と聞いてきた。映画監督の熊井啓だった。ほかにも岡本太郎、武満徹、大江健三郎、山口昌男なども来ていた店だとあとで知った。
車谷長吉のある文章で、彼も火の子に通っていたと知った。僕が車谷を読み始めたころ、彼はすでに坊主頭だった。その文章によると、ある晩、彼はカウンターで内城さんのことをブス(他の単語だったかもしれない。ともかく女性の容姿に関する否定的な表現)と言ってしまい、「二度と来ないでちょうだい」と出禁をくらったそうである。素面にもどってから死ぬほど反省し、謝罪の品を片手に店を訪ね、許しを請いながらお詫びのしるしにこれから一生坊主頭で暮らします、と土下座したとのことだった。そんで車谷はあの髪型だったのである。
それを知ったとき、車谷の他の文章も思い出し、人間の絶望と希望は紙一重なんだなあとぼんやり思った。そのころの僕はそれを文学と勘違いしたのかもしれない。しかし今となってはそれほど大きくは外してなかったような気もする。車谷はおそらくそのあたりのことを「虚点」と呼ぶのだろう。僕のような凡人は文学的虚構として理解するのかもしれない。
そんなことを今の学生さんたちはどう思うかわからんけれど、絶望と希望のすきまの虚点の5冊。読んでみてください。でも僕が火の子に初めて行ったのは大学3年のときですからね。何を言ってるのかわからんかもしれんですけど。
『夫・車谷長吉』
- 高橋 順子 文藝春秋 2020年
詩人、高橋順子が夫、車谷のことを書いた本。車谷は「反時代的毒虫」と自称した私小説家と紹介されることが多いけれど、なんか違うようにも思う。絶望の度合いは高橋のこのエッセイのほうが車谷本人より深いのではないか。車谷が2015年に69歳で死んだとき、その死の詳細は公表されなかった。たぶん世間はその経緯をこの高橋の文章で初めて知ったのだろうけれど、僕はこれを読んだとき、こんな死に方だけは絶対に嫌だと心に誓った。しかし何回か読むうちに霞の向こうに希望という字も仄かに見えるような気がしてくる不思議な本。
『人生の救い : 車谷長吉の人生相談』
- 車谷長吉 朝日新聞出版 2012年
『鹽壺の匙』
- 車谷長吉 新潮社 1995年
『漂流物』
- 車谷長吉 新潮社 1999年
『赤目四十八瀧心中未遂』
- 車谷長吉 文藝春秋 2001年
車谷本人には『鹽壺の匙』『漂流物』『赤目四十八瀧心中未遂』など読むべき本は多い。それはそれで読んでみてください。しかしまず一冊読むのならこの人生相談。朝日新聞の土曜別刷での連載。まったく人生相談になってないどころか、犯罪の奨励とさえとれるような回答も多い。人間、道を踏み外すとは何か。360度回転した人生相談の回答。180度かも。道をどっちに踏みはずすか、という読書体験。学生さんに薦めて良いとも思われんけれど、わしら、理屈で生きているわけじゃないし。そこんとこは自己責任で。
『お伽草紙』
- 太宰治 新潮社 2009年
これまで幾度も紹介しようと思ってはやめていた本。が、車谷の人生相談を紹介するとこれも紹介すべきだろう、と。僕は太宰をすべて読んだわけではないけれど、代表作のなかではだんとつにおもしろいと思う。日本全体が腐敗しきってアジアを侵略した時代。その真っ最中にこうした文章を書くことこそが知性だったのだろう。パロディというより、これもやはりまた「虚点」を描いているものだと思う。特に「カチカチ山」はその絶望的で凄惨な結末を読み終わった瞬間、生きていて本当によかったと思った。記憶ではウサギさんの最後の台詞は「汗、かいちゃった。」だとずっと思い込んでいたが、今回確認したら「おお、ひどい汗。」だった。どっちにしても怖いが。
『オリンポスの果実』
- 田中英光 新潮社 2002年
「戦地で、覚悟を決めた月光も明るい晩のこと、ふっと、あなたへ手紙を書きましたが、やはり返事は来ませんでした。あなたは、いったい、ぼくが好きだったのでしょうか。」という結末の文章をまたばらしてしまうが、これを読んでどう思うかは、もちろん人によって違う。けれど、田中は文学上の師である三つ年上の太宰が玉川上水で妻でもない女性と心中したとき、あまりに大きな精神的打撃から薬物中毒に陥る。そして太宰の死の一年半後、田中もまた太宰の墓前で自死する。そうしたことを知ってこの結末の文章を読むと、また違う印象を受けるのが不思議である。文体や内容より書名があまりにモダンな響きがする本書。本人が意図していない虚点に触れていると思う。
『ハムレット』
- ウィリアム・シェイクスピア 著 ; 小田島雄志 訳 白水社 1983年
太宰にとって生きている空間は地獄だった。沙翁(←シェイクスピアのことです。太宰はこの呼称を使う)が書くハムレットにとっても国家機構としてのデンマークは地獄だった。そこに何かを感じたか、太宰はやめればよいのに「新ハムレット」を上演されることが想定されてないレーゼドラマとして書く。太宰本人はそれを「註釈書でもなし、または、新解釈の書でも」なく「勝手な、創造の遊戯」としているが、これがえらくつまらない。さらに無謀なことにこのレーゼドラマを本当に上演する人たちもいる。2023年のパルコ劇場版への大笹吉雄による劇評は「企画自体が無謀だった」で始まって、「テキストが不出来だからだ」で実質的に終わっていたことを思い出す。
そうした無謀さを虚点と感じるくらいなら、いっそのこと沙翁ご本人のものを。原著は印刷されたものでさえ3種類もあるそうですが、日本語訳もあまりに種類が多い。でもここは小田島雄志訳を。とても読みやすいし、この絶望と希望のすきまには過剰な註や解説もないほうがいいと思うので。
ちなみに本欄2020年版で紹介した Phase IV の映画版、『フェイズIV 戦慄!昆虫パニック』のラストシーンはラファエル前派の英国人画家ジョン・エヴァレット・ミレーが1852年に描いた有名な『オフィーリア』そっくりになっています。ビデオで見てびっくりしてください。
そうした無謀さを虚点と感じるくらいなら、いっそのこと沙翁ご本人のものを。原著は印刷されたものでさえ3種類もあるそうですが、日本語訳もあまりに種類が多い。でもここは小田島雄志訳を。とても読みやすいし、この絶望と希望のすきまには過剰な註や解説もないほうがいいと思うので。
ちなみに本欄2020年版で紹介した Phase IV の映画版、『フェイズIV 戦慄!昆虫パニック』のラストシーンはラファエル前派の英国人画家ジョン・エヴァレット・ミレーが1852年に描いた有名な『オフィーリア』そっくりになっています。ビデオで見てびっくりしてください。
※2025年度の推薦本は図書館内のトピックコーナーに配架されています。(一部購入できないものを除く)