学生に薦める本 2026年版

越智 敏夫

吉本隆明の・ようなもの……五編+おまけ

 おそらくは漢和辞典をさわった経験が少ないであろう今の学生さんたちは、紙の本を読んでいて「巫覡論」という単語が出てきたら、どうやってそれを「ふげきろん」と読むのだろうかと、とつぜん気になり、ついつい以下のような本を推薦することになりました。

『共同幻想論』

吉本 隆明 KADOKAWA 2020年

『想像の共同体 : ナショナリズムの起源と流行』

ベネディクト・アンダーソン NTT出版 1997年
 『古事記』や柳田国男『遠野物語』の解説のふりをしながら国家とは何かについて書いている本。文章自体はそれほどむずかしくないので、ふつうに読めるとは思う。ただ、それらを解釈したうえで、どのように自分は国家と関わっているのか、あるいは関わるべきかと考え始めると、とたんに迷い始めるという不思議な本。
 ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』(英文初刊:1983年)を大学院で読んだ時、最初のうちは「吉本みたいやん」と思ったけれど、本全体の主旨はまったく違っていた。近代という時間的限定のなかでの具体的な国家(と植民地)についてアンダーソンは論じているけれど、吉本はどの時代、どの場所でも存在する「国家的なもの」との向き合いかたを論じている。その点では吉本のほうがより「実用的」なのかもしれない。
[OPAC]
[OPAC]

『吉本隆明という「共同幻想」』

呉 智英 筑摩書房 2016年

『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』

加藤 典洋/高橋 源一郎 岩波書店 2013年
 おおげさではなく吉本は戦後文壇・論壇における最大のスーパースターだったわけで、その点ではその出版物が金を稼いだ著作家の筆頭でもあった。で、それらの本の内容については同時代的な論評も含めて無限にある。しかしそれらにおいてさえ、吉本が何を論じているかを論じているものよりも、吉本の影響を受けたのは誰で、その彼/彼女らが何を思って何をしたか、を論じているもののほうが物量としては多い気がする。それは2012年3月に吉本が没したあとに刊行されたものでもあまり変化がないのではないか。
 吉本の生前に刊行された吉本論で、自分が読んだもののなかでは磯田光一、菅孝行、山本哲士などのものにある種の根性を感じたが、没後のものでは加藤典洋、高橋源一郎『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』(岩波書店、2013年)がその類かなあと思っていたら、絶版だった。吉本についてこの二人が語ったものでさえ、である。「吉本が死んだら誰も本を読まなくなった」という冗談も、冗談ではなかったか。
 ということで呉智英の本書である。2012年の暮れ、吉本逝去のほぼ半年後、呉さんは本学の社会連携センターの公開講座で吉本の話をしてくれた。宴席でも続いた呉さんの話は本書の内容とも一部は重なるが、本当の意味での容赦のない吉本批判は、もちろん容赦のない戦後文壇・論壇批判でもある。「吉本もそのファンも、書いたもののなかにはできの良いものもあるけど、アホがかっこつけとるだけのもんも多いやんけ」と。特に「マチウ書試論」批判はおもろすぎ。行けー、どんどん行けー、と拍手したくなります。
[OPAC]
[OPAC]

『「知」の欺瞞 : ポストモダン思想における科学の濫用』

アラン・ソーカル/ジャン・ブリクモン 岩波書店 2012年
 呉さんの吉本批判ではないけれど、読みにくい文章は本当に高尚なことを言っているのか、ということについて、ある実験とその結果、その派生物が本書。
 2002年から2003年にかけてニューヨーク大学(NYU)の研究所にいたとき、9/11事件の社会的余燼も感じたけれど、NYUのなかの研究者たちとのちょっとした会話に感じた別の余燼は、1995年に起きたいわゆる「ソーカル事件」のそれだった。この事件をどう説明するかも難しいけれど、事件の主要関係者がほぼすべてNYUの人間だったために、自分の近くにもこの事件にかかわっていた人もいて、けっこう気をつかった(つもりである)。その点ではこのとき感じた余燼は、正確にはNYUにおける集団的トラウマだったのかもしれない。他者からはわかりにくいが。
 ということで、ご本人たちの弁。著者たちは本書の目的を以下のように書く。あとは各自で図書館に行って、せめて「はじめに」だけでも読んでみてください。
「われわれは、これらの分野(哲学、人文科学、社会科学など:引用者注)がきわめて重要であると感じており、明らかにインチキだとわかる物について、この分野に携わる人々(特に学生諸君:原著者注)に警告を発したいのだ。特に、ある種のテクストが難解なのはきわめて深遠な内容を扱っているからだという評判を『脱構築』したいのである。多くの例において、テクストが理解不能に見えるのは、他でもない、中身がないという見事な理由のためだということを見ていきたい。」邦訳単行本pp.7f
[OPAC]

『キッチン』

吉本 ばなな 角川書店 1998年
 吉本隆明が『共同幻想論』で論じた概念「対幻想」は、雑に言ってしまうと家族のことである。1987年、本作で吉本ばなな(本名:真秀子・まほこ)が海燕新人文学賞を取ったとき、彼女は「思想家・吉本隆明氏の次女」と紹介された。1996年、隆明が家族で必ず夏の休暇を過ごしていた西伊豆、土肥温泉の海岸で溺れ、一時意識不明になったとき、隆明はテレビのニュースで「作家・吉本ばなな氏の父」と報道された。この10年の差異が対幻想である……ということはなかば冗談にしても、隆明のものを読んだ人で本作を読んだあと、対幻想という単語を想起しなかった人はいないだろう。
 さらにいうと本作を最初に読んだとき、大学院の友人たちと「ばななに絵が描けたら、これは絶対に少女漫画にする話だよねえ」などと言っていたら、本当に本人はそう思っていたようだし、隆明の長女ハルノ宵子(本名:多子・さわこ)は次女より絵がうまかったので漫画家になった、ということを知った時には本当に驚いた。
 それらはともかく、というかそれらあってこそ、本作は良い小説だと思いました。
[OPAC]

『渋松対談 : 赤盤』

渋谷 陽一/松村 雄策 ロッキング・オン 2011年

『渋松対談 : 青盤』

渋谷 陽一/松村 雄策 ロッキング・オン 2011年
 前述のように戦後日本において吉本隆明に影響を受けた人は無限にいる。それらの人々の著作のなかで、個人的にいちばん読んできたのは、過去、この欄でも紹介したことのあるロッキン・オン・グループ代表、渋谷陽一のものである。彼の文章は活字になったものはすべて読んできた。昨年、2025年7月に病没した渋谷は吉本の思想を正面から受け入れ、その中心的部分の実践として音楽批評をおこない、出版活動を進め、ロック・フェスティバルを主催してきた(と僕は思う)。
 その渋谷の本の中でもっとも吉本的なものを紹介しようとしたら、渋谷の書籍もほぼすべてが絶版という事実を知った。これもまた前述のように吉本に関する書籍の多くも絶版になっている現在、ロッキン・オンのボスだった渋谷の書籍も読めない惨状というのは、電子本の普及でどうこうなるようなものではないような気もする。
 という現実に負けてもいられないので、気をとりなおして本書。まだなんとか刊行されているこの対談集を読んで今の学生さんはどう思うだろうか。僕ら世代のロックファンは毎月これを読むことで、また来月も生きていくかあ、と乾いた笑いを共有していた。褒められたものじゃないですね。でも楽しかったです。
[OPAC]
[OPAC]

『の・ようなもの』(DVD)

森田芳光 監督 アスミック・エース 1981年

『家族ゲーム』(DVD)

森田芳光 監督 ジェネオンエンタテインメント 1983年

『キッチン』(DVD)

森田芳光 監督 バンダイビジュアル 1989年
 吉本ばななの『キッチン』を1989年に映画化した森田芳光の劇場用長編デビュー作。代表作の『家族ゲーム』(1983年)や『キッチン』などより、このデビュー作のほうが圧倒的に良いと思う。とても好きな作品であります。
 秋吉久美子演じるエリザベスが明るい庭(だったように記憶しているけど)で、幸せそうにぼけーとしながらステーキを食べるシーン。また伊藤克信演じる二ツ目落語家の志ん魚(しんとと)が、深夜に東京下町の堀切から浅草まで、「しんとと、しんとと」とつぶやきながら「道中づけ」して歩くうち、いつのまにか朝になっているという有名なシーン。ほかにも印象的なセリフや画面など多く、ほんとうにすばらしい。
 そういえば作中、師匠の出船亭扇橋を演じる九代目入船亭扇橋さんの一門に僕と同じ高校の後輩がいて、九代目の孫弟子にあたります。彼は昨年、真打に昇進しました。こんな偶然もあるんやなあと思いつつ、この作品を再見すると、やっぱり良い作品だなあと。
[OPAC]
[OPAC]
[OPAC]
※2026年度の推薦本は図書館内のトピックコーナーに配架されています。(一部購入できないものを除く)