学生に薦める本 2004年版

越智 敏夫

『還暦以後』

松浦玲 筑摩書房 2002年
 「ものがたり」とはなにか、その一。古くは法然から河竹黙阿弥、徳富蘇峰をへて中村真一郎にいたるまで28人の還暦以後を語る。人生五十年の時代。寿命の長短と長幼の序によって歴史を見る。たとえば維新三傑(西郷、大久保、木戸)は皆50歳前に死ぬ。維新に負けた勝海舟は彼らより先に生まれたが長く生き、日清戦争後のアジアを憂慮しつつ1899年に死ぬ。徳川慶喜は明治天皇より年上だが大正(当然、明治天皇の死後ですね)まで生き残る。その慶喜が1898年、赤坂氷川の海舟宅を訪れ維新を語る。この関係をどう読むべきか。他の人物(女が西太后だけというのが少し気になるが)の還暦以後もすべて興味深い。皆、嘘をつき、勘違いし、痴呆はすすむ。そのなかで時間を語る著者。圧倒的な史料解読の技。これぞ知性。
[OPAC]

『悪童日記』ハヤカワepi文庫

アゴタ・クリストフ 早川書房 2001年

『ふたりの証拠』ハヤカワepi文庫

アゴタ・クリストフ 早川書房 2001年

『第三の嘘』ハヤカワepi文庫

アゴタ・クリストフ 早川書房 2002年
 「ものがたり」とはなにか、その二。この三部作で語られていることはフィクションである。本当のことは一片もないだろう。しかし嘘に嘘を重ねることで作者の言いたいことが伝わるのならばそれでいい。凡庸な真実よりは意義ある仮構。さらにいえば一切の固有名詞も物語から消失している。真っ白な嘘と匿名性のなかで浮かび上がる人間の残酷さ。著者はハンガリーに生まれ、第二次世界大戦中に幼年時代をすごした女性。1956年に西側に亡命している。本作は東欧の血塗られた現代史を語っているように読めないこともない。が、それを超えた内容がこの謎解き風の話のなかで語られている。最近翻訳されて評判のゼーバルト『アウステルリッツ』(白水社、2003年)にも似た印象をもつ。面白さはクリストフ、深みはゼーバルトか。
[OPAC]
[OPAC]
[OPAC]

『風の歌を聴け』講談社文庫

村上春樹 講談社 1982年

『1973年のピンボール』講談社文庫

村上春樹 講談社 1983年

『羊をめぐる冒険(上・下)』講談社文庫

村上春樹 講談社 1985年
 「ものがたり」とはなにか、その三。これも三部作。『ダンス・ダンス・ダンス』というつまらない続編があるが読まなくていい。この「羊」で終わるべき。もしあなたが「読むものがない。面白い小説なんか読んだことない」と思っているのならぜひこれを。70年代初期の馬鹿大学生(とそのなれの果て)の独り言が延々続くように読めないこともない。しかしここで語られている「おはなし」は80年代中期の学生にとっては無理に頭から降りかかってくる時代の雪のようだった。現在形として語られる郷愁。人によっては溶けるのもはやかっただろう。デュラン・デュランが流れるバブル初期の東京でビーチ・ボーイズと学園闘争についての小説が書かれ、売られる。読んでいるとやたら缶ビールを飲みたくなる小説だが、この面白さはやはり技巧の勝利だと思う。
[OPAC]
[OPAC]
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『悲しい生活』

松村雄策 ロッキング・オン 1994年
「ものがたり」とはなにか、その四。「名文」と呼ばれるものはそれだけで忌避してしまう。かつて教科書で無理に読まされた小林秀雄のせいか。指示代名詞だらけのまわりくどい文章。表面上はどうとでも取れるが実際言っているのは「ぐじゃぐじゃ理屈こねまわさずに権力と権威に黙って従え。それが日本の真の伝統文化である」くらいだろう。空疎な美文。そんなひどいものと異なり松村の文章を読むことは中学以来の私にとってひとつの救済だった。ロック、小説、落語、プロレスなど好きなものについて語る。権威から解放された明晰な文章。個々の趣味に相違はあるが、その姿勢には現在でも共感している。彼のものならすべて推薦可。紫煙が充満する後楽園ホールのロビーで本人をときおり見かけるが、いまだに声はかけられない。見た目、ちょっと恐いし。
[OPAC]

『Watchmen』

Alan Moore and Dave Gibbons DC Comics 1987
 「ものがたり」とはなにか、その五。アメリカン・コミックスの金字塔。そういう誉め方以外は想像できない傑作。気障と言われても原著を読め。コミックスだからこそ翻訳とは感動の質と深さが違う。大恐慌から冷戦にいたるアメリカ。もしスーパーマンやバットマンのようなヒーローが実在したら。彼/彼女たちは本当に地球を救えるか。一見馬鹿みたいなテーマでこの感動の長編を描ききった Moore もえらいが、それを平面芸術として表現しきった Gibbons もえらい。もちろん出版したDCもえらい。各連載原稿のあいだにはさまれた「資料」を読むたびの驚き。パラレル・ワールドものと読めないこともないが、そもそもパラレルじゃない「ものがたり」ってあるのか。リアルとは何か。最大の問題はこれを大学図書館に置いてもらえるかどうかだ。
[OPAC]