図書館HOME>各種資料・学生に薦める本>学生に薦める本
学生に薦める本 2010年版
越智 敏夫
世の中に「踏み絵」、「リトマス試験紙」となるものはたくさんある。あるひとつのものを好きか嫌いかで、他のものの嗜好もわかってしまうようなものである。ポップ・ミュージックでいえばスティングの作品などはそういう機能を果たしている気がする。あ、プロレスラーのスティングもそうかなあ、古いけど。絵画だとヒエロニムス・ボッシュやエル・グレコ。これらも古いか。近代絵画ではモイズ・キスリング、どうでしょう。映画の場合はエリック・ロメールかなあ。ピーター・グリーナウェイかも。
そして日本の小説でいえば飯嶋和一である。この名前を知っているかどうかで、その人の好きな小説のタイプがわかる、というのは言いすぎか。短編集を入れても六作しか出版してないという寡作な作家ながら(だからこそ?)、そのどれもが信じられないほどの高レベル。やっと最近になって連載小説を手がけるようになったが、これまでの作品はすべて書き下ろしだった。どんな毎日をおくってらっしゃるんでしょうか。文学賞を辞退しまくっているらしいとか、いろいろ噂は聞くが。ともあれ、好きな作家の作品に4年に一度出会える幸福。
読むとすぐにわかるけれど、彼の作品の魅力は卓越したストーリー・テリングからのみ生じているわけではない。あるイデオロギー的構造というか、その世界観と信念。そのようなものによってわく感興も存在することに気づく。その点では量産する天才、手塚治虫とも似ていると言えるだろう。その彼の(今のところの)全作品をどうぞ。飯嶋和一に「はずれ」なし
『汝ふたたび故郷へ帰れず』小学館文庫
- 飯嶋和一 小学館 2003.5
1989年、単行本刊。これだけが現代小説。飯嶋が小説を書くことによって何を伝えたかったのか、この短編集でわかる。その意味で本作以降の作品がすべて時代小説になっているのは、たまたまその手法がいいたいことを伝えるのに便利だったからなのだろう。しかし現代小説をもう20年以上も書いてないというのも、考えてみればもったいない話である。ファンのないものねだりか。それはともかく、登場する主人公たちは南の離島出身のボクサー、マタギの地に住む青年など、すべて孤高の者ばかりである。「これは俺には無理だ」と思いながらもついつい読んでしまう。
『雷電本紀』小学館文庫
- 飯嶋和一 小学館 2005.7
1994年、単行本刊。前作から唐突に歴史小説へと展開する飯嶋。生涯わずか十敗のみという相撲レジェンド、雷電為右衛門の生涯を描く大河ロマン……というふりをしつつ、ぜんぜん違う小説になっているところがすごい。雷電の贔屓筋として鉄物問屋主人、鍵屋助五郎を登場させ、彼のほうが話を引っ張り始める。近代市民社会の萌芽としての江戸を背景として、悪夢のような圧政下の民衆の日常が描かれ、彼らが生を紡ぐための希望とはどのようなものだったかが語られる。その希望の星になってしまう雷電の栄光と不幸。その彼とともに時代を見つめた助五郎の生きざまに瞠目せよ。
『神無き月十番目の夜』小学館文庫
- 飯嶋和一 小学館 2006.1
1997年、単行本刊。実は飯嶋の作品のなかでこれを最初に読んだ。こんな小説があったのか、という驚き。1602年、陰暦10月の夜。常陸国、小生瀬の地で300名以上の住民が消え失せる。いったい何が起こったのか。その村に漂う臭気は野戦場のものと同じだった。「自尊」という当たり前の価値をもった誇り高き人々が、江戸幕藩体制の開府という暴力的な体制変動に巻き込まれたとき、どのような行動をとるのか。現在の我々は恭順をさも良いことかのように思いこみ、抵抗の契機をあまりに無視していないか。そういう自分のヘタレ具合をずっと反省することになるので読むのがつらい。でも読め。
『始祖鳥記』小学館文庫
- 飯嶋和一 小学館 2002.12
2000年、単行本刊。政治権力が自己目的化していた暗黒の江戸後期、天明年間。今でいうハンググライダーを自力で発明し、空を飛ぼうとする男の話。権力は人間の内面を支配しようとする。それでは肉体で空を飛ぼう。ただそれだけのことがとんでもない政治的反抗を意味する時代。「俺の精神は自由だ」とさえ言えない社会に未来はない。「オリンピック選手がシャツのすそをズボンから出しただけで袋叩きにあう社会の経済が回復するわけなかろう、たわけ者がっ」と平田弘史先生のように言いそうになるが、その精神の自由は主人公以外の者にも澎湃として流れる。「反抗的歴史群像」としてどうぞ。
『黄金旅風』小学館文庫
- 飯嶋和一 小学館 2008.2
2004年、単行本刊。家光による貿易統制が施行される以前、民間貿易によって栄耀栄華を誇った寛永年間の長崎が舞台。というより、当時の国際都市・長崎そのものが主人公。あらゆる攻撃からその長崎を守ろうとする「大馬鹿者」二人を中心に話は展開するが、長崎という町のうごめき方が異常に面白い。そこがこの小説を単なる正義漢の話にしていない。キリシタンの末路、鎖国令の結果を後知恵で知っている僕らだからこそ、気軽に読むわけにはいかない。それにしてもこういう「ふとい話」を読むと、NHK大河ドラマの将軍たちの描きかたがあまりに無責任というか、権力大好きというか……(以下自粛)。