学生に薦める本 2009年版

池田 嘉郎

本を紹介するというのは相手あってなきがごとき行為であるから、雑文を綴って本当に意味があるのかと不安になる。それだけに学生から、「『罪と罰』読みました。わたしはラズミーヒンが好きです」とか言われると、本当に嬉しい。
 文学から三冊、選んだ。内訳は、私の専門である西洋史から一冊、ロシアから一冊、それに単に好きだということで一冊、である。

『ハックルベリー・フィンの冒険 上・下』

マーク・トウェイン著、西田実訳 岩波文庫 1977年
USAは自由と民主主義の国だということであるが、この小説を読むと本当にそうなのかいなと首をひねらされることしきりである。そもそも国と呼べるほどに人が住んでいない。やれ大河だのやれ大平原だのがだだっぴろく広がって、集落などはぽつぽつと目に入ってくるばかりである。そこでの暮らしとてろくなものではない。馬に乗って家族ぐるみ殺し合い、子供をぶん殴り、逃亡奴隷を狩りたてる。これは野蛮の世界である。そうした野蛮の世界にあって、人が考えることはただ一つ。どうやって命と財産、それに家族を守ればいいか。荒野のただ中で生まれたこのミニマルな問いが、日を重ね月を経るうちに受肉して、いまなおむくむくと成長を続けているのがアメリカ合衆国の国制にほかならない。この大伽藍がなかなか滅びない所以である。


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『アンナ・カレーニナ 上・中・下』

トルストイ著、木村浩訳 新潮文庫 1972年
ソヴィエト作家エレンブルグは少年時代、父が工場長を務めているビール工場にトルストイが訪ねてくるのを見た。トルストイはひげを濡らしながらビールを飲んで、「うまいですね」とか「ビールはウォトカよりも労働者のためにいいですネ」とか言って喜んでいたという。少年エレンブルグは作家のこの姿に幻滅するのだが、なあに、うまいものを食いたいだけ食ってお菓子のかすをぽろぽろ口のまわりにつけて満腹しているのが、生の作家トルストイの真骨頂である。『アンナ・カレーニナ』も不倫がどうの不貞がどうのと言うが、要は生々しく鼓動するむき出しの心臓を銀盆に乗せて差し出したのが、この大小説なのだ。赤ん坊のむちむちした指先や、コップに突っ込まれたぶちょぶちょの黒パンの塊に、百万のアンナの魂が宿っている
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『阿部一族・舞姫』

森鴎外著 新潮文庫 1968年
遠くの方から鴎外が歩いているのを眺めれば、張った頬骨にカイザー髭、窮屈な軍服にきらめくサーベルと、まるでおっかない人に見えたのだろう。だが、身近に接した人の話をきけば、皆がむずかしい顔をしている中でひとりだけニコニコしている鴎外の姿が一様に浮かんでくる。荷風の伝える鴎外はシャツ一丁で「待たせてゴメンネェ」と現れるただのおっさんだし、里見トンも会合で退屈して落書きしていると、肩越しに覗かれて優しく微笑まれたのだという。そうした鴎外の姿を知るためには、ここに挙げた短編集を全部読む必要など全然なく(「舞姫」なんてどうでもよい)、ただ一編最後に収められた「寒山拾得」、それもその「附」だけでよい。最後の一行を読んだ瞬間にアッと叫んで、イヤハヤ鴎外先生ナントモやられました…文学のカタルシスとはこういうものをいうのである。
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