学生に薦める本 2005年版

越智 敏夫

映画を見る楽しさや緊張感を文章で表現するのはむずかしい。ぐだぐだ駄文をこねくりまわすよりも映画館の椅子に座ったほうがはやい。シンクロされた画像と音声による複雑な表現を暗闇のなかで長時間、一回限りのできごととして他者と共有するこのメディア経験は言葉で語るには圧倒的に不向きである。ということでそこには冬山登山のような艱難辛苦が待ち受ける。しかし世の中にはその困難にあえて挑み、成功する人もいる。以下、その奇跡の例。

『フリッカー、あるいは映画の魔(上・下)』

セオドア・ローザック 文春文庫 1999年
いっけんミステリー小説。サイレント期ドイツの天才監督マックス・キャッスルをめぐる謎。すべての登場人物が映画を語ることのみで自我を成立させ、映画の本質(が本当にあるかどうかはこの際おいておく)を読者に一瞬でも感じさせる。はっきりいって人物造形には失敗している。みんな性格に深みがないし言動の根拠もうすい。展開される映画批評にも異論は多いだろう。いろいろ問題はある。にもかかわらず、なぜ映画は人をかくも惹きつけるのか、その謎に拘泥しながらも芸術一般の無限の可能性を示す著者の姿勢は評価したい。しかしそんな面倒なことをいわなくても1000ページ超の文庫を一気読みさせるのはさすが。
[OPAC]

『ヒッチコック映画術』

フランソワ・トリュフォー 晶文社 1990年
その『フリッカー』の登場人物たちにほとんど評価されてないヒッチコック。あれだけ意地の悪い演出をし、映像表現で遊び、驚かせ、感動させ、謎を残した大監督。その彼にトリュフォーが長時間インタビューした膨大な記録。たとえば『サイコ』(1960)がなぜあれほど恐い映画なのか、嫌というほど本人が解説。これが面白くないはずがない。それが日本語で読める感動。人生、こんなに楽をしていいのか。しかし本書を再読しながら『ファミリー・プロット』(1976)を見たときの失望を思いだした。今見たら違う感想も持つだろうが、当時の印象は自分のなかで「権威も批判していいんだな」という意識に通じたと思う。『イノセント』(1976)や『影武者』(1980)を見たときの違和感も同質か。
[OPAC]

『マカロニ・アクション大全――剣と拳銃の鎮魂曲』

二階堂卓也 洋泉社 2005年
マカロニ・ウエスタン(ちなみに英語では Spaghetti Western 、ほんとだって)について語ることはわれわれの小学校高学年から中学校時代、重要な通過儀礼だった。テレビで見るのが中心だったけれど、キャスト、スタッフ、サントラ、主人公のポンチョの模様、使われているリボルバーの口径やバレルの長さまで語りつくした。どうしてあんな雑学大全を語るのが楽しかったのか。いつも話はネロ派(コルブッチ派でも可)とイーストウッド派(レオーネ派でも可)にわかれて終わったような気がする。ジェンマ(テッサリ派は不可)も好きだったけれど、いかんせん演技力が蜘蛛の糸のように細かったからなあ。最近BSで彼の作品を再見して愕然とした。というわけで雑学抜きにして映画は語れない見本として本書を。それにしてもマカロニ・ウエスタンって400本以上もあるそうです。すごい。
[OPAC]

『監督 小津安二郎』

蓮實重彦 ちくま学芸文庫 1992年
他の映画監督の存在さえ否定しかねないほどの圧倒的な賞賛に値する作品群なのか、公開時の評価、集客に関する議論はどうなっているのか、あるいは本書のレトリック、文体はなぜここまで不快なのか……など留保多数。にもかかわらず、小津がホームグラウンドの松竹ではなく大映で撮ったために厚田雄春ではなく宮川一夫がカメラを担当した『浮草』(1959)について、他の小津映画とはまったく異なるその風合に身をまかせる京マチコの大映女優としての凄絶な美しさとともに、ラストシーンで浅蜊の時雨煮(かな、あれは)を食う中村鴈治郎の艶姿を思い浮かべるごときの至福のひとときを好むのであれば、本書は読みごたえあり。何か(って何だ)のきっかけにもなる本だとは思う。
[OPAC]

『Twelve Angry Men』

Reginald Rose Dramatic Pub Co. 1955
シドニー・ルメットの監督デビュー作『十二人の怒れる男』(1957)の演劇版シナリオ。赤狩りという映画(だけじゃないけれど)の殺戮から回復しないままのハリウッド。そこから遠く離れたニューヨークでローズが書いた舞台劇が黎明期のテレビでドラマ化され、3年後に映画となる。この時代、本当のスラングは脚本にはまだ入り込めなかった(昨今の four-letter word 連発の映画の台詞は『俺たちに明日はない』(1967)以降といわれる)。だから本作は丁寧で簡潔な口語英語。昨年紹介した "Watchmen" 同様、これもぜひ英語で読んでもらいたい。台詞になりうる言葉とは何か、よくわかります。民主主義について英語で考える初歩としても推薦可。
[OPAC]