学生に薦める本 2007年版

越智 敏夫

 人は恐怖を様々な形で経験する。しかしその恐怖を文章だけでもたらすことは可能なのか。ただ人をぶっ殺すシーンをつなげてもぜんぜん恐くない。それどころかスプラッター・コメディになってしまう可能性、高し。ということで、恐怖の文章表現5点。恐い。だけど面白い。それにしても人間の頭ってよくもまあいろんなことを思いつくものだ。

『世界の中心で愛を叫んだけもの』

ハーラン・エリスン ハヤカワ文庫SF 1979年
著者本人はSFとは Speculative Fiction の略称だという。何がSFかはともかく、当該ジャンルの頂点のひとつ。この短編集のなかのたった15ページの表題作が与える衝撃の大きさと世界観の深さを見よ。読み終えた瞬間、呆然としたまま最初のページに戻るあなたがいるはずだ。それを最低5回は繰り返すだろう。内容を解説する愚は避けたい。本作(正確には本作にオマージュを捧げたTV版「エヴァンゲリオン」最終話)のタイトルをパクった自称小説家某の恥知らずな似非小説(汚らしくて本屋でさわる気もしない)の対極にある豊穣な悪夢の数々。これらのフィクションを読む至福の経験は恐怖を媒介として必ずやある speculation へといたる。
[OPAC]

『鳥 デュ・モーリア傑作集』

ダフネ・デュ・モーリア 創元推理文庫 2000年
 ヒッチコックの映画『鳥』もよくできてはいるが、恐さでは原作の圧勝。文章表現による恐怖の教科書のよう。鳥が襲ってくるだけという単純なプロットをどう生かすか。そこに陰影をつける絶妙な主人公のキャラクター。ラストもあまりの恐さゆえ、静かに物思いにふけってしまうほどである。「モンテ・ヴェリタ」「写真家」「恋人」「林檎の木」など他の作品もすべて鋭く恐い。代表作『レベッカ』がブロンテの『ジェイン・エア』に酷似していると批判もされる作家だが、でもやはり技巧、アイデアともに最高度。読み終えてふと窓の外の雀を見ると、彼らの相貌がちょっと違うものに見えてくる(恐)。鳥って笑わないし。
[OPAC]

『火刑法廷』

ジョン・ディクスン・カー ハヤカワ・ミステリ文庫 1976年
 これは恐いぞお。舞台は1930年代のアメリカ。ニューヨークの出版社に勤務するエドワードは担当した人気作家の新作草稿を読む。ところがその草稿に添付されていた19世紀の女性殺人鬼の顔写真はまちがいなく自分の妻マリーのものだった。エドワードのまわりで現実に起こりはじめる殺人。連絡がつかなくなる妻。消える死体。19世紀と現在の双方の殺人事件は結びつくのか。作者はいったいどんな決着をつけるつもりなのか。そうした読者の想像をはるかに超える展開。有名なラストシーンだが、その評価(あるいは解釈)については愛好家のあいだでいまだに論争の対象になっている。読み終わってあまりの恐さに読んだことさえ後悔する本格ミステリー(って言うかなあ、これを)。
[OPAC]

『懲戒の部屋 自選ホラー傑作集』

筒井康隆 新潮文庫 2002年
 この短編集には戦後日本における恐怖小説の最終兵器「走る取的」が収録されている。とある飲み屋で取的(下級力士のことだそうです)をちょっとからかってしまったサラリーマン二人。彼らがその後体験する恐怖。人間にとって救済とは何かとまで考えてしまうほどの切迫感。格闘技界における「相撲最強説」は本作と無縁ではあるまい。しかしこの話の本当の恐さはそれを読むこっちの脳味噌がじょじょに変質させられていくところにある。本作はかつて『メタモルフォセス群島』という家宝にすべき文庫本に入っていたのだが、そっちは絶版らしい。筒井クラスの作品でさえこうなるのか。日本の出版界、大丈夫かあ。これも恐怖だが。
[OPAC]

『Coraline』

Neil Gaiman and Dave McKean Harper Trophy Press 2002年
「もしかしたら今の親は本当の親ではなくて、世界のどこかに本当の親は別にいるんじゃないか」と小さい頃に空想した人は多いかもしれない。しかし「私があなたの本当の母親よ」と言う女性が自分の家の隠し部屋にいたとしたら。そして彼女の目はボタン(シャツなんかについているあれです)でできているとしたら。さらにはそれまで親と思っていた人たちが忽然と姿を消してしまったら。もうこの設定だけでじゅうぶん恐い。異能の人、ニール・ゲイマンのダーク・ファンタジー。主人公 Coraline(この名前もすごい)が味わう恐怖はできることなら英語で読んで味わってもらいたい。ジュブナイルだから読みやすい恐怖でもあります。これでもって英語恐怖症を克服しましょう。あ、そんなもんないですか。ごめんなさい。
[OPAC]