学生に薦める本 2024年版

越智 敏夫

 「数に溺れて」5編。もともとはセミの話だった。こいつらなんで7年も土のなかにおるんや、と。小さいころから不思議だった。土の中から出てきてもたった7日で死ぬし。ところが7年も7日も実は嘘の数字で、誰もセミの実態を確認しないままそれらが定説化していただけ。その後、少しは研究が進み、日本のセミの地中生活期間は種類によって違い、だいたい1~5年ほどとなった。成虫になってからも7日どころか一か月近く生きるのもおると。えー、そうやったんか。こうした例から科学(者)のいい加減さを感じるか、その発展を感じるかは人によるのだろう。私は前者でした。

 それはともかく人生(正確には虫生)のうちの大半をまっくらな土のなかでモグラやケラ、他の昆虫などから逃げ回りながら木の根をちゅーちゅー吸い、最後の瞬間だけ真夏の空を飛んで死ぬというものなかなかハードボイルドではある。

 そんなことを思いつつ昆虫図鑑を見るうち、日本と違って北米大陸には「周期ゼミ」「素数ゼミ」というのもおるらしいと知る。13年か17年も地中におって羽化するんやて。それも毎年、13歳や17歳の幼虫が土のなかから這い出てくるのではなくて、13年、17年おきにそれぞれの成虫が大発生する。17年生きる昆虫というのもすごいけど、そもそもなんで13と17なん?

 などと不思議に思いつつ大人になり、1994年からシカゴ大学で2年間お世話になったとき、「いやぁ、1990年のセミはすごかったで。大学全体セミの死骸だらけやったわ」という話はよく聞いた。ほー、とか思いながら、帰国後もそんな周期ゼミについてたまに思い出しつつも、だんだん忘れていたころに出た本が以下。

『素数ゼミの謎』

吉村仁 文藝春秋 2005年

『アーロン・バアの英雄的生涯』

ゴア・ヴィダール 早川書房 1981年
 これはおもしろいです。素数ゼミという虫けらからいろんなことを考える本。13と17についてもしっかりと結論を出しています。目の前の現象から、それらが発生した原因と、それらが意味するところを考え、検証しようとする姿勢がすばらしい。科学とはこういうものかと思う。(おそらくは)セミが素数の概念を理解しているのではないだろうけれど、その素数の意味を体現しているセミたち。その点を考えると、本書は数という概念、現実世界、私たちの理解、それらのあいだの隔絶について理解する話でもあるような気がする。

 ところがこの本に続いて同じ著者が出版した『17年と13年だけ大発生? 素数ゼミの秘密に迫る!』(ソフトバンククリエイティブ、2008年)という本はどうもよくない気がする。書名に?と!を並べるのはどうよ、という意見はともかく、何かこの本全体によからぬ気配を感じる。先の本に比べて大人向けになったからなのか、はっきりいうと読者に理屈で媚びる感があり、筆がすべっているというか。そんなことまで言うてええんですか、とときおり感じた。

 ところで、13と17の最小公倍数は221。ということは221年に一回はとんでもない数の蝉が北米大陸を飛び回ることになるわけで、その現象が次に起きるのは、なんと今年2024年であります。特にイリノイ州(もちろん最大都市はシカゴ)の南部あたりは13年ゼミと17年ゼミの生息域が重複しているそうで、6月頃にはとんでもないことになりそう。一兆匹という報道も読みました。アラビア数字で書くと1000000000000匹ですよ。今、これらが北米大陸の地中で蠢いていると思うと……(以下略)。

 ところで(再)、前回の素数ゼミ大発生の1803年といえば第三代合衆国大統領トマス・ジェファーソンがミシシッピー川以西のフランス領ルイジアナをナポレオン・ボナパルトから買収した年であります。この買収によりアメリカの地政学(←嫌な言葉ですが)は激変。この社会の大変動期にも大量のセミがアメリカ中をぶんぶん飛んでいたのかと思うと、何か人間の矮小性というか、いろいろ考えてしまいますね。

 ところで(再三)、このルイジアナ買収のときの副大統領はもちろんアーロン・バー。アレクサンダー・ハミルトンを銃による決闘で殺し、それとは関係ないけど米国史上(トランプが逃げ切れば)唯一の反逆罪で裁判にかけられた政治家というこの人物がどんな人か知りたければ、ゴア・ヴィダール『アーロン・バアの英雄的生涯』(早川書房、1981年、原著:1973年)を。これもすごいぞぉ。ヴィダール自身もいろんな意味ですごい人ですが。
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『素数の音楽』

マーカス・デュ・ソートイ 新潮社 2005年(原著:2003年)
 で、その一兆匹のセミが体現している素数についてはやっぱりこの本。素数とは何か、というよりもそれを論じる意味、素数を研究する価値などについて論じ、そこから数とは何か、数を考えるとは何を意味するのかなど、究極の問いに向かう。それと同時に数学者たちの個性が鮮やかに描かれる。面白くないはずがない。

 さらに読んでいて驚くのはデュ・ソートイの話法のすばらしさ。たとえば前書きにあたる第1章だけでも、ある二人の数学者の研究姿勢について「コンヌは数学の革命家だった。ボンビエリが数学界のルイ十六世であるとすれば、さしずめ慇懃なロベスピエールとでもいえようか」(p.17)など、わかりやすい表現続出。

 また素数が数学において重要である理由を「素数を使えばほかのあらゆる数が作れるから」(p.20)とひとことで済ましてしまう力業も見せつつ、そのことから「物質界にある分子はすべて、化学元素の周期表にある原子を使って作ることができる」(pp.20f.)ということを示したうえで、あっそうかあ、素数は原子のことなのね、だから数学が量子力学と結びつくんや、とこちらに気づかせてくれる。

 その素数の並び方はランダムに見えるが、そこに法則はあるのか。また素数は予測できるのか。これらの表現に触れることにより、パターンと秩序の発見に命をかけているはずの数学にとって素数が「究極の挑戦課題」なのだとわかる。その昔、キング・クリムゾンの曲だったか、ベースが7拍子でドラムが5拍子、それらが35拍子目でぴったり合うというのがあって、それを思い出しましたです。ちょっと違うか。

 ただ、上記のように原著は2003年刊なので、そのあとの数学の発展(を理解するのも本当は大変なんだろうけど)については各自いろいろ調べるのが吉。よろしくお願いします。
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『零の発見 : 数学の生い立ち』

吉田洋一 岩波書店 1979年(旧版:1939年)

『数学入門』上下巻

遠山啓 岩波書店 1959年
 デュ・ソートイからは一転して地味こかしてますが、やっぱりこれも名著だと思う。戦前に書かれた本とは思えない。かつて日本の大学に一般教養という科目群があったころ、それらのなかで数学を担当していた教員たちはこの本のおかげで講義が格段に楽になっていたのではないか。かくいう私も「ぱんきょー」でこの本に接した。内容については副題のとおり。デュ・ソートイとは違う技法で数学の数学的なところを教えてくれます。岩波新書には『数学入門(上・下)』(1959-60年)など遠山啓による数学関連の名著も数多くあるけれど、この吉田本のほうが僕は好きだった。理由はよくわからん。もしかしたらタイトルか?
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『麦ふみクーツェ』

いしいしんじ 理論社 2002年
 これも素数と音楽に関する本。予備知識なしで読んだほうが良いと思われるファンタジー。でも軽く説明すると、打楽器にとりつかれた祖父、素数の謎を解明しようとする父、からだのおおきな男の子。外国船も入る不思議な港町に住むこの三代のお話。おもしろいけど、意外に暗く重く感じるかもしれない。

 以上、ここまで数の話で選んできたけれど、素数だったらほかにもこの小説を入れんのか、とご指摘される御仁もいらっしゃるかもしれません。でも好き嫌いは大事です。人生の時間も制限されているし、自分がつまらんと思ったものを紹介してもねえ。ご容赦ください。で、最後に数の映画。
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『数に溺れて』(DVD)

ピーター・グリーナウェイ監督・脚本 紀伊國屋書店 2005年(1988年公開)

『ビューティフルマインド』(DVD)

ロン ハワード監督 ; アキバ ゴールズマン脚本 NBCユニバーサル・エンターテイメント 2012年(2001年公開)

『定本レッド : 1969-1972』全4巻

山本直樹 太田出版 2022年
 数学の映画というとまずは「ビューティフル・マインド」(監督:ロン・ハワード、2001年)あたりが思い浮かぶのではないか。実在の数学者ジョン・ナッシュの話。主演のラッセル・クロウはミスキャストと思わんでもない(だってマッチョだし)けど、職人監督ハワードが波乱のストーリーを手堅くまとめ、エド・ハリス、クリストファー・プラマー、ジェニファー・コネリーと自分の好きな俳優さんが出ていることもあって、けっこう楽しく見ました。が、この映画公開から10余年後、ナッシュ本人が賞金1億円のアーベル賞を受賞し、その授賞式からタクシーで帰宅する途中、夫人とともに交通事故死するとは。人生、本当にわからんもんです。

 ほかにも数学者が出る映画としては「わらの犬」(監督:サム・ペキンパー、1971年)。えらく陰惨だし、ポリコレ的に問題のある箇所もあって、お勧めはしません。ただ、数学者である夫が解答中の数式だらけの巨大な黒板を、妻が夫の見てないすきに一か所だけプラスとマイナスをチョークで書き直すというシーンがあり、夫婦って怖いなあと子ども心に思った。そのシーンはいかにもペキンパー的でお勧め。

 ということで数の映画の本命は Drowning by Numbers であります。最初に見たとき、マイケル・ナイマンの音楽の斬新さとともに、また新しい映画が出てきたなあと本当にびっくりした。内容はグリーナウェイなのでタイトルそのまま。皆さん、本当にざぶざぶと数に溺れています。まあ by (the) numbers はほかにもいろんな意味をもつ連語ではあるので、英語の勉強としてもどうぞ。

 またこの映画は画面の中に1から100までの数字が順番に出てきます。それを探すのも楽しい(←ひどい言い方だなあ)。その仕掛けは連合赤軍の惨事を描いた山本直樹の『定本 レッド 1969-1972』(全4巻、太田出版、2022-23年)みたいです。その点では両作品とも数字を見せることによって現実のグロテスクさを示そうとしているのかもしれない。
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※2024年度の推薦本は図書館内のトピックコーナーに配架されています。(一部購入できないものを除く)