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学生に薦める本 2008年版
池田 嘉郎
文学から三冊、選んだ。内訳は、私の専門である西洋史から一冊、ロシアから一冊、それに単に好きだということで一冊、である。
『ゴリオ爺さん』
- バルザック著,平岡篤頼訳 新潮文庫 2005年
切羽詰った主人公に最後の一撃を食らわす運命のノック。といえばロシア文学ならば病気の貧乏青年が凶器をもって殴りこんでくると相場が決まっている。フランス文学ではそうはならない。部屋に入ってくるのは執達吏、すなわち借金の取立て屋である。かくのごとく花のパリは金!かね!カネ!小沢昭一の「金金節(かねかねぶし)」の世界である。このリアリズムワールドにひとり飛び込んだ田舎物の青年ラスティニャック、美貌と胆力だけを武器にどこまで這い上がれるか。少年少女よ、野心を抱け。
『罪と罰 上・下』
- ドストエフスキー著,工藤精一郎訳 新潮文庫 1993年
で、そのロシア文学である。天才は何をしても許されるという超人哲学を発明して、金貸しの老婆を殺したラスコーリニコフ。この青年、金が欲しかったから殺したのか、それとも自分の天才哲学を実践したかっただけなのか、その辺が当人にもよく分かってない。ドストエフスキーのコロシにはいつも「何でやねん」というところがあって、それがもしコロシのリアリズムであるならば、われわれ凡夫としてはまずしっかり金を数えるところから生活を始めなければならないと思う。
『パンドラの匣』
- 太宰治著 新潮文庫 1993年
いまさら太宰でもないのだが、しっかりと生活を・・・などと上の方で書いているうちに『斜陽』を思い出したので、彼について書くことにする。太宰といえば、加藤典洋『敗戦後論』(1997)が面白かった。加藤のこの本は、自国の兵士の死をきちんと弔うことなしに、他国の死者をきちんと弔うことができるのか(どちらが先かの問題ではなく、日本というネイションをどう確立するかの問題である)という問いを初めて提起したことで、評論のジャンルにおける「戦後」の終わりを画した作品なのだが、そのなかで太宰は、同じ無頼派の坂口安吾や石川淳とは違って、戦中と戦後の間に段差のようなものがない、と評価されている。私見ではこれは、戦争に対する三人の関わり方が違ったからであって、淳の場合、戦争に対して義理立てするいわれがなかったことが大きいのであろう。だが、太宰についての加藤の指摘は正しいように思う。くにの大義が挫けた後に、ひとはどのように生きればよいのか。この問いに太宰はこだわったのだ。『パンドラの匣』は戦中に書いた原稿が焼けてしまったのを、校正刷りを頼りに戦後書き直したもの。療養所の二十歳の男の子からの手紙の形で書かれており、天晴れというほかないほど爽やかである。これと本書に収録されている『正義と微笑』とが、太宰の作品で一番好きだ。