学生に薦める本 1996年版

松井孝雄

大学生でもあまり読書しない人が多いらしいが,私の感覚では,「本を読まない大学生」なんてのは形容矛盾に近い.こんなことをいうと大学には``学生''は少ないとい うことになってしまうかもしれないけれど,最低でも月に5冊は読むようでなければ 学生だとは認めたくない(ほんとは10冊以上といいたいところだ).まあそうはいって もこれまで習慣がなかったというならしょうがない.だから,とにかく夢中になって 読めるような本をなるべくとっつきやすいところから紹介してみることにする.

『赤頭巾ちゃん気をつけて』

庄司薫 中公文庫
とりあえずこの小説ならば,読書習慣のない人でも読みやすいだろう.でも,単に読 みやすいだけの話ではない.``若さ''ということがなんであるかについて考えるきっ かけが随所に周到に用意された物語なのである.まだ今のように``真面目=ダサイ'' という図式が確立してはいなかった時代に触れるという意味でもお薦めする.これを 読んで気にいったら「赤」のあと白・黒・青と続く四部作に進むのもいいと思うが, エッセイ『狼なんかこわくない』も是非読んでもらいたい本である.

これを読んだのは大学受験の頃で,共通一次と二次試験の間に読みふけった記憶があ る.作中の主人公とちょうど同じ年齢・同じ時期だったのもあって感情移入しやすかっ た.大学に入学してみるとやはり熱心に庄司薫を読んだ人が周りに多くて,よく酒を 飲んではこの本の話をしていた.

さて,軽めの本に慣れたら,もっと長い本を読んでみよう.面白い小説を読んでいる と,いつも終わってしまうのが惜しい気持になるので,このくらい長い話ならなかな か終わらないから安心だろう,と思って読んでみると,やっぱり面白いので夢中になっ て読んでしまい,あっというまに終わってしまう,本を読むからには是非そういう愉 しみも味わってほしい.その点これなら大丈夫.

『指輪物語』

J・R・R・トールキン(瀬田貞二訳) 評論社(文庫もある)
これはハイファンタジーの元祖ともいえる大長篇作品である.その後,影響された作 品は幾つも出たが,世界をまるごと一つ創造してしまう構成の雄大さ,結末がわかっ ていても繰り返し再読に耐える語りの巧みさという点でこれを超えるものはなかなか ない.読み始めたら止まらないので,暇があるときに挑戦したほうがよい.あまりの 長さに気力が萎えてしまう人は,とりあえず同じ著者の『ホビットの冒険』(岩波書 店)からでもよいだろう.きっと次には『指輪』を読みたくなるはずである.なお, 「ドラクエ」などのRPGが好きな人も基礎教養として読んでおくべきであろう.なに せRPGの原点の一つはここにあるといえるのだから.

私は高校1年の夏にアルバイトしたお金でこれを買って,秋ごろ夢中になって読んだ. 学校の休み時間も家に帰ってからも読み続けて数日で読み終り,たちまち再読にかかっ たものである(そのころはずいぶん体力と気力があったのだ).

次は,もうちょっとややこしい本.

『ユービック』

フィリップ・ディック(浅倉久志訳) ハヤカワ文庫SF
この世の中は現実ではなくて本当は夢なのではないか,とか,自分以外の人間は実在 していないのではないだろうか,とか,他の人が見ている世界は自分とはまったく違 うんじゃないだろうか,といった妄想は誰でももったことがあるのではないかと思う (そんなこと考えたことがないって? だとすればあなたはずいぶん幸せな人です.で なければおばかさんかも).これは,そういうことを考えるのが好きな人にはうって つけの小説である.「うる星やつら」や「パトレイバー」が好きなアニメおたくにも お薦めできる.ディックの晩年の作品はどんどん難解になり,宗教的な雰囲気をもつ ようになっていったけれど,この作品や,映画『ブレードランナー』の原作『アンド ロイドは電気羊の夢を見るか?』など,1960年代後半の作品は話の展開もすばやくて, ぐいぐい引き付けられるような面白さがある.

私がディックにはまったのはちょっと遅くてオーバードクターのときだった. ディックの作品には1992年という設定のものがいくつかあるのだが(『ユービッ ク』もそうだ),たまたま読んでいたのが1992年だったのが不思議な暗合のよ うな気がして,翌年にかけて翻訳されている全ての作品を読み漁ってしまった.

小説ばかりではなく,科学の本にだって,夢中になって読めるような面白い本はたく さんある.ただし少々根気はいるけれど.

『利己的な遺伝子』

リチャード・ドーキンス(日高敏隆他訳) 紀伊國屋書店
例えばこの本は,「ああ,そういう考え方もあるんだなあ」と眼からウロコが落ちる 思いにさせてくれる素晴らしい生物学書である.竹内久美子なんてまがいものに手を 出すくらいなら,是非こっちを読んでほしい.これが難しそうにみえるなら,早川書 房から出ている『ブラインド・ウォッチメイカー』(なんとかっこいいタイトルだろ う!)がよいだろう.

大学院の博士課程のころこれを読んで感動し,「こういう研究をしなけりゃあいけな い」と仲間と話しあったものだけれど,やっぱり,なかなかそううまくいくものでは ない.

『荘子 内編』

金谷治編注 岩波文庫
で,最後に古典を一つ紹介する.あえていうまでもないことだが,やっぱりいちばん 重要な,読むべき本は古典なのである.岩波文庫の青帯には「こんな素晴らしい本が こんなに安く手に入っていいの?」という恐るべきハイコストパフォーマンスの本が ずらりとある.

中でも私は,この本を薦める.世の中も自分もみんな馬鹿げてくだらなく見えるとき,あるいは,つらいことばかりが多くてやりきれないとき,(もちろんそうでないと きでもいいけど)読んでみてもらいたい.この本の持つ,悠然と宇宙全てを笑 いとばすようなスケールの大きさに触れるときっと心が安らぐはずだと思う. 原典を読むのが大変だというなら福永光司の『荘子』(中公新書)がよい.また, 前田利鎌の『臨済・荘子』(岩波文庫)も素晴らしい.

能天気に見えるらしい私だが,こう見えても大学1・2年の時分には一人前にい ろいろ暗く悩んだりしており(笑わないように),その頃この本を読んでずいぶ ん自由になったような思いがした.べつにそれで悟りを得たわけではないけれ ど,オウムなんかに救われた気になるよりずっとまっとうなのではないだろう か.