学生に薦める本 2013年版

越智 敏夫

「時間とは何か」と考えはじめてもろくなことはない。せいぜいノイローゼになって熱がでる程度。ハイデッガーくらい賢くなって、ものをたくさん知るようになれば、また別でしょうが。
しかしはっきりいって、世の中のことについて考えるというのは、時間について考えるのとほぼ同義だったりもする。避けられません。ということでいろんな人が取り組みます。もちろんこれは金儲けをするために頭脳をフル回転させるエンターテインメント業界も同じ。その結果、たとえば娯楽映画にもタイムトラベルはみちあふれます。
「タイム・マシン」(ジョージ・パル、1960年)、「猿の惑星」(フランクリン・J・シャフナー、1968年)、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(ロバート・ゼメキス、1985年)といった古典から、「ビートルジュース」(ティム・バートン、1988年)、「死霊のはらわたIII/キャプテン・スーパーマーケット」(サム・ライミ、1993年)までなんでもあり。どれも必見。
世界に冠たる日本マンガ界も時間をネタにすることに関しては例外ではない。手塚治虫「火の鳥:宇宙編」(1969年)、楳図かずお「漂流教室」(1974年)、諸星大二郎「孔子暗黒伝」(1978年)と王道が続き、藤子・F・不二雄にいたっては「オバケのQ太郎」「ウメ星デンカ」「ドラえもん」(それぞれ出版年略)と代表作のほぼすべてがタイムトラベルもののワンダーランドといってよいほどである。ましてや藤子・Fの短編などいわずもがな。
 と、世の中にタイムトラベルものはつきないけれど、ここは大学図書館なので、意地でも小説5作。時空間がねじれるまでどっぷりどうぞ。

『夏への扉 新訳版 』

ハインライン,ロバート・A.【著】小尾芙佐 【訳】 早川書房
 タイムトラベルSFの古典中の古典。パラドクスについても一応納得できそうな叙述。また僕はどうでもいいけれど、世間の<猫>小説ファンに愛される作品でもある(らしい)。しかもこれは新訳。ところが本作には当該テーマの栄光と悲惨が同居する。
  人間の善意やら勇気やら、そういうものへの信頼を回復する話ではある。そこに時間(つまり人生)とは何かという問題提起が入るので、読む方としてもついつい感情移入してしまう。その意味では佳作。
  しかし本書のストーリーは、同僚の重要な話も聞かないただのエゴイストがその性格ゆえに破滅するも、なんとか人生を取り戻そうとし、そのついでに、かつて自分の近くにいた9歳の幼女をタイムマシンとコールドスリープを利用しつつ、彼女が大人になるのを待って妻にしようとするという狂気の犯罪譚でもある。
  どうもタイムトラベルというとこの手のロリコン趣味の筋肉馬鹿オヤジが散見されるような気がする。そしてこの不幸は単に(ある意味での反共戦士)ハインラインのイデオロギーのみに関連した現象ではなく、SFというジャンル、あるいはSFファンという人間集団に共通してみられる構造的問題でもある。
  出てくる男たちは不屈の精神をもち、女たちは究極の悪女か、頭が若干軽そうで可憐な少女たち。ほら、スピルバーグやディズニー、日本のSFアニメもそうでしょ。この闇は深い。
  しかし、そもそもSF小説とは、と考えてみると、男女の性行為なしでも生命は誕生するという、究極のフェミニズム小説『フランケンシュタイン』(1818年)を書いたメアリー・シェリーこそがSFの嚆矢とすれば、世間の男性至上主義への批判と克服こそがSFのダイナミズムを形成してきたともいえる。とすれば、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア(←念のために書いておきますが女性です)やアーシュラ・K・ル=グウィン、ジョアンナ・ラス、マーガレット・アトウッドなどの位置づけもわかりやすくはなる……かなあ?
[OPAC]

『故郷から10000光年 ハヤカワ文庫 』

ティプトリー,ジェイムズ,Jr.【著】伊藤 典夫【訳】 早川書房
 ということでティプトリー・ジュニアのタイムトラベルもの。Ten Thousand Light-years from Home という原題を見て泣かない人間は人間ではない、とアメリカSF界で言われるほどの(←とうぜん大嘘、信じないように)、ティプトリー第一短編集。
  そのなかの「故郷へ歩いた男」。これをはじめて読んだときの感動というか、衝撃というか。こういう体験をするとSF漬になるしかない。
  とある粒子加速研究所が大爆発を起こし、地球は崩壊。この設定(というかあ?)もすごいけれど、その爆発の衝撃で未来のかなたに吹き飛ばされた一人の男が広大な時空間を歩いて帰る、というお話。こんなものも絶対に映像化不可。
  ほかにも時間ものは「ハドソン・ベイ毛布よ永遠に」。一部【ネタバレ注意】でいうと、これは女性作家によるロリコン・タイムトラベラー解釈のひとつ。ただし本作発表時、ティプトリーが女性であることは未公表だった。そういうこともあって評価はけっこうわかれそうな気もする。
  ともあれ、以上のようなことを考慮せずとも(いや、本当は学生さんにはいろいろ考えてほしいんですが)、「そして目覚めると、わたしはこの肌寒い丘にいた」など、すべてじっくりと読む価値ありの短編集。

『マイナス・ゼロ 集英社文庫 (改訂新版) 』

広瀬 正【著】 集英社
 日本でタイムトラベルといえばこれ。ジュブナイルとしては筒井康隆『時をかける少女』(1967年)もあるが、あれはやはりNHK少年ドラマシリーズ『タイムトラベラー』(1972年)と大林宣彦「尾道三部作」の第2作『時をかける少女』(1983年)の原作として論じるべきもの。
  したがって日本語で書かれたタイムトラベルものの代表作はこれ。これは断言していいのではないか。
  幕開けは太平洋戦争末期、空襲を受ける東京。主人公の少年は隣に住む臨終直前の老人から「18年後にまたここに来てほしい」と頼まれる。で、約束通り18年後に再訪すると、そこにはタイムマシンが……という展開。そのあとは「昭和」という時代を総体として描くというような壮大なお話が、ほとんどサザエさん的家庭譚のような様相のもと、ちまちまと展開する。
  ところが話の面白さ、時間軸の説明のうまさ、パラドックスの提示などが異常にわかりやすいので、なんとなく「人生とは何か」ということまで理解したような気になる嘘八百のストーリーテリング。残念ながら作者、早世のため作品数が少ないけれど、この瞬間最大風速はすごい。
[OPAC]

『リプレイ 新潮文庫 (改版) 』

グリムウッド,ケン【著】 杉山 高之【訳】 新潮社
 ニューヨークの弱小ラジオ局のしがない男性ディレクターが43歳の秋、心臓発作で死ぬ。が、気がつくと18歳の自分として大学の寮にいる。ということで、43歳までの記憶をもったまま、18歳に若返るとどうなるか。まあ、人間だれでも3日に1回くらいは思いいたる「人生、あの頃に戻ってやりなおせたら」という妄想をすごく丁寧に描いた長編。
  いろんな記憶は残っているので、まずは競馬や株式投資で莫大な金をかせぐ主人公。このあたりの即物さはアメリカだなあと思わせます。ところが彼はまた43歳で死ぬ。こんどは○○歳で目覚めて……というお話。
  これは映像でも舞台でもラジオ劇でも、とにかくなんでも応用可能なストーリー。実際、ありとあらゆるものに翻案されてきた。このあたりの差異も時間について考えるヒントになりそうな気はする。当然、この小説の元ネタは次に書いた『ファウスト』。人類が生み出した「時間もの」で応用可能範囲が最大規模の作品。読み比べてみてください。
[OPAC]

『ファウスト 第1部,第2部 岩波文庫』

ゲーテ【作】 相良 守峯【訳】 岩波書店
東西冷戦の真っ只なか、デモクラシー世界の指導者を自称していたアメリカ合衆国大統領ニクソンが国家安全保障担当補佐官キッシンジャーとともにベトナム戦争をひたすら長期化させ、北ベトナムどころか周辺国の人々さえ空爆で殺し続け、地球の裏側チリでは自由選挙によって成立したアジェンデ政権をクーデターで崩壊させるべくCIAと画策している1972年、かつてナチス帝国(の半分)だった西ドイツ、ミュンヘンでオリンピックが開催される。
  その会期中、パレスチナ・ゲリラ Black September が選手村のイスラエル選手宿舎を襲撃、選手とコーチ2名を射殺、9人を人質にする。ゲリラ側の要求はイスラエルが収監しているパレスチナ人200余名らの解放。しかしイスラエル当局はゲリラとの交渉自体を拒否。途方にくれる西ドイツ政府は空軍基地から海外に脱出させるとゲリラに返答しつつ、移動中の狙撃をねらう。結局、空軍基地において銃撃戦となり人質9人は全員死亡。ゲリラ8名のうち、5名死亡、3名逮捕。
  すべてテレビで生中継されたこの惨劇にもかかわらず、オリンピックは続行される。当時のIOC会長は反ユダヤ、親ナチスで悪名高かったアメリカ人、アベリー・ブランデージ、85歳(ちなみに彼はアメリカ最大の日本美術コレクターでもある)。
  このオリンピックの記録は8人の監督によるオムニバス映画となった。原題 Visions of Eight は「時よとまれ、君は美しい」と訳され日本でも公開されたが、もちろんこの邦題はゲーテのこの大長編戯曲のもっとも有名な台詞に由来する。ドイツでのオリンピックやからゲーテでええやろ(なぜか関西弁)という前頭葉本来の機能を忘れさせるほどの大技を見せたその人は今、どこでどうしているのか。彼/彼女の生において時間はどのように流れたのか。
  ということで、大天使ラファエル、ミカエル、ガブリエルによる合唱から始まるこの『ファウスト』。まあこれも究極のロリコンものといえなくもない。時間を無視するということは魂を売ることだという話……かなあ。とにかく読んでおかないといけない本のひとつ。読んでみたら面白かったという本のひとつでもあります。だまされたと思ってどうぞ。その昔、大学のドイツ語の授業で苦労させられたという世代も消えつつあることだし。
  これも【ネタバレ注意】で書くけれど、ファウストのための墓穴を悪魔が掘る音を民主主義国家建設の槌音だとファウスト本人が誤解するシーン、政治学者でなくとも涙なくしては読めません。
[OPAC]