学生に薦める本 2018年版

阿部 聡

『自然言語処理』

黒橋禎夫(著) 放送大学教育振興会 2015年
 経営情報学部経営学科に所属してはいますが、経営情報学部全体の英語教育の担当者でもあります。そのうえ最初に紹介する本が自然言語処理という「理工系」の分野の入門書というのも学生の皆さんには違和感を与えるかもしれません。
 しかし、普段皆さんが使っているサーチエンジンにもこの自然言語処理の研究成果がふんだんに生かされているわけで、少しでも気になったらぜひ本書を一度手に取ってみてほしいと思います。ついでに言うと、私の「もう一つの本職」は言語学の研究で、この本に出てくるRhetorical Structure Theoryなども言語学の枠のなかで勉強したこともあります。
 本書は放送大学(ラジオ:インターネットのradikoでも聞けます)の専門科目「自然言語処理」の印刷教材ですが、本書単体で読むことも可能かと思います。私自身は理工系の素養がまったくない(数学がダメ、算数すらおぼつかないほど。ついでながら、統計学が必修となっている皆さんが今となってはうらやましいくらいです。自分の専門(のつもり)の言語学でも英語教育でも統計学の知識・スキルが必須となってきました……)のでラジオの講義を聞きながら少しずつ読み進めているところです。黒橋先生が一方的に講義をするのではなく、日本語学を修め、コーパス開発にも携わった石川さんが聞き手として放送にも出演され、ときどき二人の間でのやり取りがあるのもよいところかと思います。
 個人的には10章の「文脈の解析」のあたりが自分の専門領域と非常に重なるので今から楽しみにしています。私は授業中に時々皆さんにテキストのある文を訳してください、とお願いすることがあるのですが、多くの人がGoogle翻訳などをこっそりと(いや、「堂々と」かも)お使いになるので、14章の「機械翻訳」も興味深いところです。この紹介を書いている時点では図書館に蔵書されていないようですが、私は自腹で購入しております。ぜひこの分野に詳しい人(たとえば自然言語処理だけでなくデータマイニングやテキストマイニングを研究している人)や興味を持った人は本書にあたってみて、阿部にあれこれ教えていただけるとうれしいです。もちろん、専門の言語学の立場から何かお手伝いできることがあれば喜んで協力したいと思います。
[OPAC]

『スタンダード英文法』

中島平三(著) 大修館書店 2006年
 ‘The mother kangaroo will feed new leaves to her baby affectionately while he is looking out from her pouch.’ という文をいかにきちんと読むか、もしくは書けるようになるか。この例文の各部分に、1章ごとに焦点を当てて、高校までで触れてきた書籍(の多く)よりも深く英文法の基礎を掘り下げていきます。比較的ページ数は少ないのですが、数行の記述のなかにたくさんのことがらが埋め込まれています。
 恥ずかしながら、この仕事をしていながらしばらく敬遠していた本でした。というのも、中島平三先生は英語学の大家、生成文法の研究者でいらして、本書も生成文法の知見が詰め込まれているのだろうと思い込んでいたからです。しかし、実際に手に取って主要参考文献を先に眺めてみると、記述文法書を中心に選んでいらして、本書は生成文法のような理論言語学の解説書ではなく、あくまでも「英語の文を組み立てる仕組みは客観的にみるとこうなっていますよね」という記述の範囲にとどめているという印象を受けました。むろん、理論言語学の大家ですから自然と理論言語学・生成文法の知見がにじみ出てきている部分はあるのですが、予備知識なしに読み通せるようにできています。各章の最後に覚えやすいまとめがあるのも優れています(もちろん、章をきちんと読んだうえでないとこのまとめの「例外」を見落とす恐れがあるので、そこは注意する必要があります)。
 個人的には、経営情報学部(もしくは情報文化学部情報システム学科)の英語1C, 2Cの授業が簡単すぎると感じている(いた)学生には一度手に取ってみてほしいと思います。
[OPAC]

『「意味順」ですっきりわかる高校基礎英語』

田地野彰(監修) 文英堂 2014年
 本書は学習参考書、しかも高校生向けであって、図書館においてもらうには少々気が引けるというかなんというか、という感じではあるのですが、監修者はこれまでにも意味順に関する書籍を何冊も出版しており、現時点で皆さんにとって手に取りやすそうなのはおそらく本書だろうと思い、1年生で英語学習がちょっとしんどいなあと感じている方にはそれこそ参考までに読んでみてはどうかな、という気持ちでおすすめしておきます。
 日本語では「が、を、に」などのいわゆる格助詞で文の中での名詞の役割を表わすことになっているので、「太郎が花子に本をあげた。」も「花子に太郎が本をあげた。」も「本を太郎が花子にあげた。」も、文があらわす出来事に違いはありません。一方、英語は「が、を、に」に対応するものを持たないと言えます。ではどうやって名詞の役割を表わしているのでしょう? もちろん、メインとなる動詞の左にあるのか、右にあるのか、さらには右にある場合は動詞に近いほうか、その後ろの遠いほうか、といった語順によって表されます。例えば Taro gave Hanako a book. で上の日本語の文とほぼ同じ意味を表わせますが、語順を入れ替える(例: Hanako gave Taro a book.)と意味が変わってきますし、最悪なのは日本語の基本的な語順に無理やり合わせて「その本は太郎が花子にあげた」をもとにして、*The book Taro Hanako gave. という非文を作ってしまうケースです。
 要するに言語が違うと、文の中でのパーツの役割の表し方も異なるということです。リーディングの授業でよく見かけるのですが、そうした仕組みの違い(文法の違い)を無視してなんとなく英単語の意味だけを調べてその訳語だけを「日本語の文法に無理やり寄せて」つなぎ合わせて理解したつもり、というのは英語を読んで(聞いて)理解したとは言えそうにありません。WindowsのPCにMacのアプリを(もしくは、AndroidのスマートフォンにiOSで動くアプリを)インストールしようとするくらい無理なことをしている、と授業中によく例えるのですが、そのあたりお分かりいただけますでしょうか。
 本書ではこの語順をもっと大きくとらえてどのような要素がどのような順序で文のなかに登場するのかを「だれが」「する(です)」「だれ・なに」「どこ」「いつ」という大きな枠組みで捉えようとしています。細かく分析した場合にはちょっと無理がある部分がないわけではないのですが、そこは分かりやすさと、意味順を優先させた結果だろうということでいったん受け入れ、本書を読み終えてから『スタンダード英文法』などで考えることにしましょう。
[OPAC]

『英語の素朴な疑問に答える36章』

若林俊輔(著) 研究社 2018年
 本書はもともとジャパンタイムズから1990年に発行されていた同名の本の復刻版です。私は偶然にも古書で入手することができ、大切に読んできました。学習者向けに、「闘う英語教育学者」(研究社の内容紹介による)である若林先生が書かれた本ですが、英語教員にとっても得るところが大きい本です。これまで希少価値が高く古書市場でもプレミアがついていたため、研究室に置いておくのがなんとなく嫌で自宅に置きっぱなしにしております。現在これを書いているのも研究室でして、今手元に原著を置いて内容を確かめながらこれを書くことができず誠に申し訳ないことです。
 英語学者ではなく、あくまでも英語教師の視点から英語という言語に真正面から向き合い、そして生徒・学生の疑問に真正面から向き合った結果がまとめられています。英文法全体を俯瞰するというよりも、実際に接することの多い表現や自分で言おうとして躓きやすい表現などについて、英語という言語がたどってきた歴史を紐解きながら納得がいくかたちで説明を加えてくれるという本だと言ってよいでしょう。今風の「分かりやすい本」とは言えないかもしれませんが、今だからこそ読む価値がある本だと思います。
[OPAC]

『言語における意味』

アラン・クルーズ(著) 片岡宏仁(訳) 東京電機大学出版局 2012年

『意味ってなに?:形式意味論入門』

ポール・ポートナー(著) 片岡宏仁(訳) 勁草書房 2015年
 片岡氏による意味論・語用論の概説書、ならびに形式意味論の入門書の訳書が本学図書館に蔵書されていた。前者は8,532円もする本で、貧乏な私は原書を当時割安だったkindle版で購入しました(そのため、何かの際に引用しようにも通例どおりにページ数を示した引用ができないので、いずれは紙版を買いなおす必要は感じています)。後者は3,500円+税ですが、それでも原書のほうが安かったので原書でとりあえず手元に置いてあります。ろくに読めもしないのに、です。
 このような本が「普通に」図書館にあるという事実が驚くべきことかと思います。どなたかがリクエストしたのかもしれませんが、pure linguistが決して多くない本学で、一応linguistの端くれのつもりの私が勤務する前から蔵書されていたのです。
 さて、少しは本の中身について触れましょう。前者は意味論(形式意味論(論理学ベースなので、数学音痴の私にはちょっと苦痛……おっと論理学の専門家が本学部にいらっしゃるのでした。教えを乞うべきですね)、語彙意味論、文法と意味の関係など)と語用論(ことばの文字通りの意味ではなくいわゆる「裏の意味、行間の意味」を扱う言語学の一分野)の中級レベルの入門書。訳者がわざわざ解説をつけておいてくれて、読み方としては「第1章の手引きにざっと目を通したあとは,いきなり第Ⅳ部『語用論』に飛んでしまいましょう.ここで語用論の基礎事項をひととおり学んだあとは,第2章『論理と意味』にもどってください.おそらく,まったくの初心者が理解するのに苦労する最大の難所はここです.この第2章をていねいに読んだあとは,続けて第3章『概念と意味』に進みます」(p. xvii) とのことです。言語学そのものにあまり興味がなかったとしても、「なぜ同じ言い回しでも場面や文脈によって真意が違ってくるのだろう」ということに興味が少しでもあったら頑張って読んでみましょう。
 後者は私が苦手な形式意味論の、比較的くだけた文体の(そして、訳者もそれを最大限に引き出した、口語体の訳し方を採用している)本です。ことばの意味について「ことばを用いて」説明するというのはある意味循環的な部分があるため、意味について論じる上では、論理式などより客観的にとらえられる手立てを使うという立場があり、その一つが形式意味論だと言ってよいでしょう。コンピュータは自然言語(コンピュータに命令するための言語と、日本語、英語、タガログ語など人間が使う言語とを区別するときに、後者を自然言語と呼ぶ)を処理する上でまだ困難な場面があると聞きますが、おそらく形式意味論がコンピュータと人間を「つなぐ」インターフェースの一つとして役立つ(役立っている)ことでしょう(でたらめだったらすみません……)。
[OPAC]
[OPAC]

『新しい言語学:心理と社会から見る人間の学』

滝浦真人(編著) 放送大学教育振興会 2018年
 ここまで自然言語処理、英文法、意味論・語用論に関する本を紹介してきましたが、学生の皆さんからは「じゃあ、お前がやっている言語学とやらはいったいどういうものなのだ?」という疑問を投げつけられそうです。それに、本学部の学生の多くは時間割の都合などもあって共通科目の「言語学」を受講することはなかなかできないようですね。その一方で、テキストマイニングや自然言語処理を専門とする人もいる(かもしれない)。何か入門書としてちょうどいいものはないものか、学部学科をこえて読んでもらえる本はないものかと思っていたところにまたもや放送大学のテキストですが、出来たての本がみつかりました。
 編著者は語用論、とりわけ日本語のポライトネス(敬語を含む、対人関係の構築・維持に関する言語使用)に関する研究で有名な滝浦先生。「新しい」とは何と比べて新しいのかは第1章に書いてありますのでじっくりお読みください。いや、何とかして放送をお聞きになることをお勧めします(夏休み期間にまとめて再放送することがあるように記憶しておりますので、タイミングがよければ聴取できると思います)。というのも、テキストは硬い文体で書かれていますが、放送はメインの講師の他に聞き手役(もしくはツッコミ役)として担当講師の誰かが一緒に出演しており、テキストだけでは分かりにくい部分をきちんと補ってくれています。
 扱うトピックは認知言語学、言語習得、語用論、談話分析、社会言語学。これまでの言語学入門書ではこれらのトピックはどちらかというと数ページ載っていればいいほうだった、というような印象があります(個人の主観です)。むろん、言語学が人間の言語=自然言語を対象とした科学であるためには極力主観を排して研究すべきなのは当然のことですが、その一方で人間が言語を用いて何をしているのかという視点も同じくらい大切だと思います。本書は人間のもの・できごとの捉え方(認知のことです)と言語形式・表現の関係、ヒトの言語習得の特徴、ヒトの実際の言語使用のメカニズム(語用論)、ことばのやりとりの仕組み(談話分析)、社会のなかでの言語のバリエーション(地域方言、ネオ方言、役割語)や規範意識などから、言葉を使う人間とはいったい何なんだろうという問いへとつながっていくようです。
 余談ですが、ヒト/人間って何だろうという問いはマネージメント(経営)にも関わってくるでしょうし、情報を集め、分析し、新たな価値を見出していくのも人間の営みですから情報システムにも当然関わってくるでしょうし、国際理解という点でも当然ぶつかる問いだと思います。言語学「を」学ぶというよりも、言語学「で/を通じて」人間とは何かをつかむきっかけとする、という姿勢があってもいいのではないでしょうか。
[OPAC]

『自転車に冷たい国、ニッポン:安心して走れる街へ』

馬場直子(著) 岩波書店 2014年

『自転車の安全鉄則』

疋田智(著) 朝日新聞出版 2008年
 がらっとトーンを変えましょう。私は35歳でようやく「就職」できました(専任の職に就くことができた、ということです)。それから3年間会津若松市で生活していたのですが、日常の行動半径はさほど大きくなかったため1年目の終わりから「雪が降ってさえいなければ自転車を交通手段にした方がいいのではないか」と思い始め、2年目の春、36歳のときにクロスバイクを買いました。大学院に進んだ22歳からは主な交通手段は自動車になっていた(ちなみに、就職する直前の2年間は非常勤講師掛け持ちが大変なことになり毎週900キロ高速道路を走行していた、「環境破壊野郎」でした)ため、まともに自転車に乗るのは約14年ぶりというありさまでしたが、自転車店を出てペダルをひとふみして進んだ距離とスピードに小さな感動を覚えました。20キロ先の喜多方市には何度か自転車で行きラーメンを食べましたし、山を少しのぼったりもしました。しかし、本学に採用してもらった際、貧乏な私は新発田の実家に再度パラサイトすることにし、またもや主な交通手段は車に戻ってしまい、あっという間に太りました……。そして、環境破壊野郎も復活です……。
 2016年暮れにロードバイクタイプの20インチ車を、2017年春にロードバイクを購入。痩せようと思ったわけです。もちろん、ご承知の通り結果はそう思うようにはいかず、ストレスに負けて甘いもの依存症のようになり、とうとう健康診断に引っかかりました。そこで、2018年は自転車通勤の頻度を増やすぞ、と誓ったのですが早速自転車通勤の途中でロードバイクでの初パンクを経験。後輪にステープラーの針が刺さりました。ただ、幸運なことにロードバイクで2000キロ以上走行した今、まだ交通事故には遭っていません。
 とはいえ、自転車通勤をしてみると、またはロードバイクでどこかに出かけてみると、非常に困る、そして憤りを覚えることがあります。そう、自転車(多くはママチャリと呼ばれるもの)の逆走と一時不停止、二人乗り、並走、スマホ見ながらの片手運転です。逆走が一番腹立たしいですね。なんでこんなことになったのでしょう? 本書(図書館にありました)などに触れるとお分かりになると思いますが、60-70年代からの「交通戦争」により、自転車を車道から歩道に「追いやった」のが一因となっているようです。つまり、自転車に乗っている人間が歩行者と同じ感覚でいるのです。だから車道の右側を通る逆走をしても悪いことだとすら感じていないわけです。これらの違反、自動車を運転している側からしても腹立たしいですよね。無灯火の自転車が逆走してきてっ衝突した、なんていう場合も過失割合は自動車側が大きくなる。自転車も車両のうちですから、本来は取り締まられるべきなのに警察もそこまで手が回らないようで……。
 本来は本書でも触れられている、Share the road があるべき姿です。自転車も車両だから車道(の左側)を走る、ということです。併せて疋田智著『自転車の安全鉄則』(朝日新書、2008)もおすすめしておきます。
 さて、本書が出た2014年以降に道交法の改正がありました。それがどれだけ周知されているでしょうか? みなさんもきちんと理解していますか? マナーの前にルールです。そして環境にも(時々は)やさしく。
[OPAC]