学生に薦める本 2020年版

澤口 晋一

図書館の蔵書にマンガが加わります!
 今年度から本学図書館では,マンガ(コミックス)の収集と配架を行います.マンガ本を大学の図書館が・・・と思う人もいるかもしれませんが,マンガにはすでに立派な芸術文化の域にまで達しているものがいくつもあります.京都精華大学や京都芸術大学,東京工芸大学といった大学にはマンガ学部や学科が設置されていますし,明治大学や近畿大学にはマンガ図書館が会館するなど,マンガという分野は今や大学教育においても無視できない存在になってきています.
 いつまでも,マンガなんてしょせんサブカルチャーでしょ,なんてしたり顔で知らんぷりしているばかりではあまりにもったいない.解剖学で著名な養老猛司氏は,マンガは絵と言葉のちょうど中間領域にあって,マンガを読む(みる)ためには右脳と左脳を同時に働かせる必要がある.ところが,論理を突き詰めようとする人の中には,中間領域をインチキくさい,ウソくさい(=マンガはくだらない),とみる傾向の人たちがいる,と言っています.論理を突き詰めようとする人≒研究者ということになるのでしょうが,研究というのは,早い話が頭の柔軟性ですから,マンガを見もしない読みもしないで毛嫌いするような人に面白い研究の発想は湧きにくいということになるのではないかと,私なんかは考えます.
 図書館からマンガを排除する時代はもう終わっています.本学図書館では,今後(選定に際しては一定の基準は設けますが),日本のマンガはもちろん,国際文化として海外のマンガも収集して皆さんに利用してもらいたいと考えています.
 という訳で,私がこの人こそ,と思う作者と作品をいくつか紹介します.
 
谷口ジロー
 1947年鳥取市生まれ.2017年没(69歳).国内での様々な賞はもちろんのこと,2011年にはフランス政府芸術文化勲章(シュバリエ)授章.特にヨーロッパでは多くの言語に翻訳されて愛読されている.その作品は日本よりもむしろ海外で有名なものも多く,映画化されている作品もある.
 谷口ジローの漫画について私なりに思うことを一言二言.
 まず,人物の描き方にはちょっと癖があるかな.しかし,その硬軟自在な身体の躍動感と顔の表情の変化は生身の人間以上に内面のありさまを伝える.さらに巧みな遠近法によって描かれる街の風景,ちょっとした横丁や路地の臨場感,店先の雰囲気,何をとっても素晴らしい.これはもう動く絵画芸術としか言いようがない.誤解を恐れずに言えば,手塚 治がデフォルメの神だとしたら,谷口は写実・細密の神だ,と言っていいかなあ.特にミクロ的点描画手法によって描かれた山の画の出来栄えは疑いなく世界最高.その点で手塚治も含めてほかの漫画家には見られない技をもっているといってもよく,それはもうマンガという域をはるかに超えてしまっている.私は,マンガに特に関心があったわけではないが,この谷口ジローという人のマンガに偶然出会って以来,その芸術性の高さに感嘆し(特に1990年代以降の作品),愛読しています.

『神々の山嶺』(上・中・下)

原作:夢枕獏、漫画:谷口ジロー 集英社 2006年

 『神々の山嶺』は,夢枕 獏の小説『エヴェレスト 神々の山嶺』(2000)を谷口ジローがマンガ化したもの.谷口は数々の傑作マンガを描いているが,その代表作は何か,と問われれば,迷うことなく『神々の山嶺』だ,と私は答えたい.エヴェレストを始めとした山の繊細さと迫力との見事な均衡!本当にほれぼれする!とにかくその画力は桁はずれだ.いったいどうやって描いているのだろう,一枚仕上げるのにいったいどれだけの時間をかけているのだろう.まずは,その画に込められた魂をじっくりと鑑賞したい.
 『エヴェレスト 神々の山嶺』は,小説が映画化もされているので,観たことのある人がいるかもしれない.しかし,原作者には申しわけないが,この谷口ジローの『神々の山嶺』こそ小説も映画も超えて,真に迫るとでもいうか,物語の真実を伝えていることは間違いない.
 さて,『神々の山嶺』どういう話しなのか.
 エヴェレスト登山史上最大の謎,と言われており,今もその真相がわかっていないのが,イギリスが威信をかけて行った第3次エヴェレスト遠征(1924年)である.これに参加し人類初のエヴェレスト登頂の栄誉を担うはずだったのが,G.マロリーとA.アーヴィンである.しかし,この2人は頂上直下で行方不明となった.果たして,2人はエヴェレスト頂上に立ったのか?これが未だにわかっていないのだ.ちなみにエヴェレストの初登頂は29年後の1953年である.
 時代は下って,物語の主人公である深町 誠は,2人の犠牲者を出して失敗に終わった日本のエヴェレスト遠征隊に参加した山岳カメラマン.その彼がネパール・カトマンドゥのとある中古店で古いコダックのカメラを見つける.ほどなくして彼(深町)は,孤高の天才クライマーとして名をはせながら行方が分からなくなっていた羽生丈二という男とカトマンドゥで偶然に出会う.この2人とコダックのカメラ,そしてマロリーを軸に物語は展開していく.山の描写にしばし見とれながら味わう硬派の物語,細密絵画と小説がいっしょになって初めて可能ともいえる異常な説得力.谷口作品の醍醐味だ.
[OPAC]

『遥かな町へ』

原作・画:谷口ジロー 小学館 2005年
 全16章,406ページ.ずしりと重い.谷口ジローの代表作のひとつ.世界的にも著名なアングレーム・マンガ祭(仏)グランプリを始め,欧州の3大コミック賞すべてで大賞を受賞した名作.フランスでは映画化され,大きな話題となった.日本よりもむしろ欧州での評価が高いというのが興味深い.
 話しの内容を細かく書いても仕方ないので,さらりと一言.主人公,中原博史48歳はどうしたことか48歳の心のまま,14歳の自分に突然タイムスリップし,生まれ故郷に戻る.そして当時の家族とともに中学生の生活を送り,また今に還ってくる,という,筋としてはどこかで聞いたことのあるような話だ.しかし,そこで繰り広げられる物語の内容の濃さ,深さはやはり谷口ジローでなくては描けないものだと思う.鳥取弁もいい.昭和30年代の鳥取や倉吉の町を描いた画も,各章の扉絵も本当に趣深い.
 半世紀以上も前の日本の地方の街並みや暮らしを描いたようなマンガが欧州で大きな評価を得るというのもまた面白いことだと思う.このマンガの何が向うの人たちを惹きつけるのだろうか.
[OPAC]

『父の暦』

原作・画:谷口ジロー 小学館 1994年

『セルゲイ プロコフィエフ 交響曲第7番 ハ短調 作品131.』(CD)

ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(指揮) フランス国立管弦楽団 1987年
 この作品については,音楽に語ってもらいます.

 セルゲイ プロコフィエフ 交響曲第7番 ハ短調 作品131.
 演奏は,ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮,フランス国立管弦楽団.

と,書いてはみたが,なんじゃそれ?という反応が返ってくるだけだなぁ,ということはわかっていますよ.それでもあえて音楽について一言.プロコフィエフは帝政ロシア時代の1881年にウクライナ南部に生まれ,1953年に没した作曲家.様々なジャンルで傑作を残しているが,交響曲は全部で7曲ある.第7番は最後の交響曲で,死の前年1952年の作.プロコフィエフにはずいぶん前衛的でショスタコーヴィッチ的に難解な作品もあるが,この交響曲は甘美で感傷的なメロディー(チャイコフスキーとはまるで違う)にあふれた佳品である.うるさ型の輩には社会主義リアリズムに迎合した駄作だとか過去の作品だとか言われることも多いのだが,しかし,全体的に人生の黄昏的な雰囲気が色濃く漂い,過ぎし青春を静かに懐かしんでいるようで,思わずため息が出てくるような音楽である.『父の暦』を読んでいると何故か,この交響曲の様々なメロディーが浮かんでは消え浮かんでは消えするんだなあ.交響曲7番はまさに『父の暦』のような音楽だ(その逆でもよい).
 演奏者(指揮者)のロストロポーヴィチは稀代のチェリストとしてあまりに有名だが,プロコフィエフ晩年の良き協力者としても知られている.選んだ演奏は,指揮者としても名をはせたロストロポーヴィチがフランスのオーケストラと録音したもの.こってりと厚いロシアのオケとはぜんぜん違う,軽やかな風合いの演奏で,この曲の持つ魅力を余すことなく引き出している.プロコフィエフはパリにも住んだことがあり,その空気を吸っている人だから,パリのオケの音が似合うのかもしれない.是非,聴いてみてください!
[OPAC]
[OPAC]

『孤独のグルメ』

原作:久住昌之、漫画:谷口ジロー 扶桑社 2008年

『孤独のグルメ2』

原作:久住昌之、漫画:谷口ジロー 扶桑社 2015年
 「孤独のグルメ」は,松重 豊主演のテレビ東京の番組でもあるので,見たことのある人もたぶん多いのではないかと思う.下戸で痩せの大食い松重 豊で満足しても良いのだが,このオリジナル漫画の主人公である井之頭五郎という男を知ってから松重 豊のテレビを見てもらいたいなあ.きっとその味わいは違ってきますよ.
 それにしても,中年男がぶつぶつ頭の中で呟きながらただ昼飯を食うだけのストーリー.こんなものがこんなにも面白いなんてねえ.どうしてなんだろうか.不思議で仕方がない.原作の久住昌之の着眼も当然素晴らしいが,ここでも谷口ジローの画がやはりものをいう.谷口じゃなかったらここまではヒットしなかったであろう.食べるごとに変る井之頭の表情はもちろんだが,その食べ物屋にたどり着くまでの横丁や街なみの描写,そこに出てくる人々の顔立ちといでたち,食べ物屋の中のつくり,雰囲気,そして何より実物よりうまそうに描かれた料理.タッチの妙,飽きることがない.
 雨の中を小走りする井之頭五郎.その雨の一筋一筋.歌川広重だよ,これは!なんて思わせる画まで出てくる.
 ところで,この漫画,一人で食いもの屋に入るということを何年にもわたって経験した大人が味わって深く納得するものではないかねえ.学生の君たちにはまだちょっとわからんかもなあ.
[OPAC]
[OPAC]

『散歩もの』

原作:久住昌之、漫画:谷口ジロー 扶桑社 2010年

 これは,「通販生活」という雑誌に2000年の夏号から年4回,一話8ページで2年間連載されたものだという.散歩ものというのは,散歩する人,と言い換えてもよいのだが,あえて「もの」としたのには散歩には必ずいろいろな「もの」にも出会うからだという.つまり「者」に「物」をかけたということ.
 主人公は東京の文具メーカー勤務の上野原譲二.彼が東京都内の8ヵ所を何も予備知識をもたずにただ無目的に散歩する,あるいは結果的に散歩になった,というだけの話.主人公とは原作者の久住昌之その人なのだが,歩きながら出会う人やもの,風景をその時の感情も交えて淡々と取り留めもなく描いていく.えっ,こんなのがマンガの題材になるの?としか思えないようなものだが,谷口ジローの細かな風景描写と登場人物の豊かな表情と動きが相まって,あてのない散歩の面白さが醸し出される.「孤独のグルメ」とも相通ずるセンス.いやあ,やはりたいしたコンビだなあ.
[OPAC]

『人びとシリーズ 欅の木』(新装版)

原作:内海隆一郎、漫画:谷口ジロー 小学館 2010年

 内海隆一郎の短編小説・人々シリーズから谷口が8編選んでマンガ化したもの.「欅の木」はその最初の一編.それが書名になっている.人々の日常の中にある様々な出来事が,素朴かつ短いせりふで語られる.このせりふが,谷口の描く表情豊かな人々の顔と身体,様々な景色の中に自然に解け込んで,もうなんですかねえ,ページを開く度に涙腺が自然に静かに開いてしまう.もうダメですねえ.中高年のためのマンガだ(軽いんだよなあマンガという言葉がどうしても).学生はまだ早い!これ以上のことは書く気にならないよ.
 いやあ,こりゃぁ,もう,宝ものだなあ.
[OPAC]