学生に薦める本 2021年版

澤口 晋一

 今年は「川」「音楽」「宇宙」「明治時代」に関係する5種類9冊,それにCD4枚です.

『洪水と水害をとらえなおす―自然観の転換と川との共生』

大熊孝 農文協 2020年
 大熊 孝氏の河川工学・治水学,そして大熊自然学の集大成ともいえる著作で,今年度の毎日出版文化賞および土木学会賞を受賞しました.2018年のこのコーナーでも大熊氏の一連の著作を取り上げていますが,これはそこに新たに加わった一冊ということになります.
 大熊氏は長年新潟大学で教鞭をとられた方で,その河川工学,治水思想そして人と自然との関係性などについての深い思索は,この新潟の地で醸成され結実したものといえます.
 新潟は,昔から水害に悩まされてきた土地です.そうした意味では,新潟で生まれ育った学生の皆さんは,直接的・間接的かを問わず水害と無縁ではありません.だからこそ,皆さんにぜひ読んでもらいたいのです.
 大熊は,「はじめに」において「私は,「河川工学」,「河川史」を専門として,こうした社会現象としての水害をできるかぎり軽減させること,そして水辺での「人と自然との共生」を目的に長く教育・研究生活を送り,学生を育て,市民とともに実践活動を行い,それなりに書物も著し,水害対策や川と人との関係性についてさまざまな提言を行ってきた.しかし,それが実際にはほとんど役に立っていないことを,近年思い知らされている.何故こうなってしまったのか?」という苛立ちともいえる疑問を呈しています.そしてこの本はこの疑問への答えを探すための長年の活動と思索を経てたどり着いた大熊氏の結論でもあります.
 最後の第Ⅲ部では「新潟から考える川と自然の未来」と題し,二つの章を費やして,新潟での自身の様々な活動を通じて得られた知見や考えを提示しています.
 まずは,「はじめに」,第Ⅲ部(7,8章)を,これで興味を惹かれたら第1章,第2章と読み進んでもらいたい.そして,コンクリートで固められた堤防や川の上流にいくと必ず出現するダム,こういったものに疑問が浮かぶようになったらしめたものです.
 大熊のいう「国家の自然観」よって日本の国土の自然は取り返しのつかないほどに破壊されました.しかも国家の自然観は人をも躊躇なく犠牲にします.国家の自然観はダム,堤防から原発,そして再生可能エネルギーへと向かっています.日本各地に乱立,乱設される風力発電のための巨大風車,太陽光発電のメガソーラーパネル.どこかで歯止めをかけなければ本当に大変なことになります.
[OPAC]

『河童のユウタの冒険』(上・下)

斉藤惇夫 福音館書店 2017年
 みなさん世代の人たちは,川や沼(新潟なら潟)でどっぷりと水につかり,いろんな魚を捕ったり,トカゲを捕まえたり,トンボを追いかけたり,ホタルの乱舞に心を奪われたり・・・といった経験をしているのだろうか(たぶん,していないよね).みなさんは「水辺」は危険なところだと教えられてきているのでしょうね.「よい子は川で遊ばない」という看板があちこちに建てられていることでよくわかります.しかし,これでいいのでしょうか.みなさんにとっての「水」とは「水辺」とはいったい何?
 この物語の作者である斉藤氏は新潟市生まれの方です.そしてこの本は,ついに日本に生まれた「水辺文学」の傑作ともいえます.西欧では,子供が水辺で遊び,親しみながら冒険(子供にとっては探検)するという小説や物語が多くあり,それは子供・大人によって今も読み継がれています.例えば,英国にはアーサー・ランサムの「オオバンクラブ物語(1934年)」といった名作があります.  
 さて,河童のユウタの舞台は新潟.ユウタが住むのは福島潟(物語では,“恵みの湖”となっており,福島潟とは言っていませんが,読めばすぐにそれが福島潟であることがわかります).そこからユウタが信濃川を数々の苦難を乗り越えて,泳ぎながらさかのぼってついには甲武信ヶ岳の源流までたどり着く,という物語です,冒険の目的はユウタには知りません.
 水とは何か,水辺とは何か,じっくりと考えさせられる大人のための物語です.金井田英津子氏の深みのある版画も併せて鑑賞してもらいたい.
[OPAC]

『武満徹・音楽創造への旅』

立花隆 文芸春秋 2016年

①『翼 Toru Takemitsu pop songs』(CD)

石川セリ 日本コロムビア 1995年

②『Takemitsu: Complete Original Solo Guitar Works』(CD)

福田進一 Naxos 2014年

③『Takemitsu: REQUIEM』(CD)

武満徹, 小澤征爾 Philips 1996年

④『Takemitsu: A flock descends into the pentagonal garden』(CD)

マリン・オルソップ, ボーンマス交響楽団 Naxos 2006年
 800ページ近いこの本を読み終えようとする頃,偶然にも著者である立花 隆の訃報に接したこともあり,ここで取り上げることにしました.
 で,本を手に取る前に,まずは武満 徹という人の音楽がどういうものなのか,聴いてみて欲しいものです(本は読まなくてもいいから音楽だけでも!).日本のクラシック(現代音楽)音楽の作曲家としては異例ともいえるほどに多くのCDが出ていますが,とりあえず,この4枚を推薦しておきます.①親しみやすさ,聴きやすさを考慮しての一枚.難解な現代音楽の作曲家とは思えない(武満は戦時下の極限状態においてシャンソンを聴いて音楽家になることを決意した)ポピュラーソング集.武満お気に入りの歌手石川セリが歌う.②は武満の魅力的なギター音楽.最後の2曲はジョン・レノンとポール・マッカトニーの曲のアレンジ.③は武満の盟友小澤征爾とサイトウキネンオーケストラによる演奏.代表作「弦楽のためのレクイエム」と「ノベンバーステップス」そして晩年の「系図―若い人達のための音楽詩」等を収録.④は武満がTAKEMITSUであることを示す一枚.アメリカ人指揮者(女性)とイギリスのオーケストラによる演奏.「3つ映画音楽」も収録.全体の選曲もよい.武満自身が失敗作とした「Solitude Sonore(1958)」を聴けるのもうれしい.
 ドビュッシー,ウェーベルン,メシアン,そしてついにタケミツにたどり着いた響きの世界.タケミツトーンと呼ばれる,音楽史上例のない独特の響きとそれがつくり出す,研ぎ澄まされつつもゆったりとした時空を理屈抜きで聴いてみてください.
 さて,本です.著者の立花 隆という人がこんなにも現代音楽に精通しているとは夢にも思わなかった.まずそこに驚嘆.そして,だからこそ可能になった奇跡の著作です.内容を無理に一言でいえば,「立花隆と武満徹との対話を通じて現代音楽史のほぼ全てが語られている」ということになろうか.しかも特筆すべきは読みやすいこと.決して難解ではない.781ページは苦にならない.本の中では,CDに収められた曲にまつわる話も当然いろいろと出てきます.それがまた面白い.
 武満は100年,200年後の音楽史にその名を刻むことになる唯一の日本人作曲家であろう.しかし作曲は完全に独学,中学すらまともには卒業していないという.作曲のさの字も知らないうえに,貧乏でピアノもない.そんな若者がクラシック音楽の作曲を志し,苦心惨憺しつつも突き進み,気がつけば世界の頂点にいる,という.なんというか,人がもつ可能性を知るうえでも,教育とは結局なんであるのかを考えるうえでも,これはきわめて貴重な記録だと思うのですよ.クラシック音楽好きが読めばいいというにはあまりにもったいない.武満なんてぜんぜん知らないしクラシックなんか聴いたことも興味もないから・・・と言わず,ちょっとでもページをめくってみて欲しいものだ!
 この本は,もともと1992年~1998年までの実に5年間にわたって「文學界」に連載されたものに基づいており,本来は直後に単行本として出版されるはずのものであったという.それが,武満の死去(1998年)と立花自身の不調などが重なって,連載から18年もの長きにわたる空白を経た後に出版されたという,そういう書物です.
[OPAC]
[OPAC]
[OPAC]
[OPAC]
[OPAC]

『宇宙からの帰還』

立花隆 中央公論新社 1985年,2020年改版
 30年以上前の院生時代に読んでビックリした本である.立花氏が亡くなったことで,ふと思い出して本棚を探したがとうとう見つけられなかったので,先日再度購入して読んでいる最中.
 やはり実に面白いですよ,これは.なんたって,立花本人がまるで宇宙に飛行士として行ったことがあるような,そんな書きっぷりだしね.また,宇宙飛行士は科学技術畑の人間ということもあり,宇宙を体験したことによって生じた内面の変化を言葉にすることが難しい.そこに立花はインタビュアーとして切り込んで,飛行士が自分でも気づいていなかった変化を引き出していく,というすごいとしか言いようのないことをやっている.
 40年も前のことなので,今の宇宙飛行とは大きく異なっている訳だが,そこがまた非常に面白い.今はノートPCで事足りることが,この時代には中教室一部屋分のドデカイコンピューターを必要とした時代ですからね.どんなに大変なものだったのか,そういうところも立花の筆致でよくわかる.ほんとにすごい.スマホ世代のみなさんに是非読んでもらいたいですよ.
[OPAC]

『『坊っちゃん』の時代』

関川夏央, 谷口ジロー 双葉社 1987年

『秋の舞姫』(坊っちゃんの時代 第二部)

関川夏央, 谷口ジロー 双葉社 1989年

【啄木日録】『かの蒼空に』(坊っちゃんの時代 第三部)

関川夏央, 谷口ジロー 双葉社 1992年

『明治流星雨』(坊っちゃんの時代 第四部)

関川夏央, 谷口ジロー 双葉社 1995年

『不機嫌亭漱石』(坊っちゃんの時代 第五部)

関川夏央, 谷口ジロー 双葉社 1997年
 週刊漫画アクション誌上で連載が始まったのが1986年ということなので,ずいぶんと時間が経っているのですが,マンガとしてのその価値はまったく減じていないし,明治の混迷の時代と質は違うだろうが,ますます深まるばかりの混迷の時代に私たちは生きている,といった意味で,明治人の生きざまを振り返ってみることも必要ではないかと思い(やや意味不明ですが),ドンと5冊.

『坊っちゃん』の時代 1987年.p.246.
坊っちゃんの時代 第二部 秋の舞姫.1989年.p.286.
坊っちゃんの時代 第三部【啄木日録】かの蒼空に.1992年.p.307.
坊っちゃんの時代 第四部 明治流星雨.1995年.p.295.
坊っちゃんの時代 第五部 不機嫌亭漱石.1997年.p.311.

 各巻のサブタイトルは以下の通り.
『坊っちゃん』の時代:見通せぬ未来を見ようと身もだえする漱石の苦悩.
第二部 秋の舞姫:国家と愛,日本と西欧のはざまで苦悩する鴎外の青春.
第三部かの蒼空に:口をついて出る短歌に時代の閉塞を映す啄木の明治.
第四部 明治流星雨:近代日本の曲がり角となった大逆事件を通して描く秋水の運命.
第五部 不機嫌亭漱石:生死の境を往還する漱石の脳裡に去来するものは…

 しかしこりゃあ何と言うか,とてもマンガになるような,できるような話ではないと思うのだが,なってしまっている,しかもとにかく面白いのです.
 第五巻完結編のあとがきに関川は次のように書いている「私は,漱石の『坊っちゃん』という小説の成立過程を縦糸に,明治末期の日本とその思想状況を描きたいと考えたのだが,当時もっとも同時代的な表現分野でそれを行うのは,試みるに価値あることと思われた.それから12年,畏友谷口ジローとともにこのシリーズを製作してきた・・・」.
 さらに第一部の締めくくりにはこのようなことが書かれてある.「明治は激動の時代であった.(中略)明治末期に日本では近代の感性が形成され,それはいくつかの激震を経ても現代人の中に抜きがたく残っている.われわれの悩みの大半をすでに明治人は味わっている.(中略)そこでわたしは「坊っちゃん」を素材として選び,それがどのように発想され,構築され,制作されたかを虚構の土台として,国家と個人の目的が急速に乖離しはじめた明治末年を,そして悩みつつも毅然たる明治人を描こうと試みた」.
 その試みは,多くの支持者・読者を集めて大成功(という言葉では軽すぎるのだけれども)であった.明治時代末期の激動の様子が,ストーリーはもちろんのこと,谷口の,もう何と表現したらいいのか言葉がみつからないほどの素晴らしい画によって,いっそう迫真にせまる出来栄えになっている.役者が演技するよりもはるかに表情豊かで動的だ!「坊っちゃん」の原作と併せて読むとより深い読み方ができますよ.
[OPAC]
[OPAC]
[OPAC]
[OPAC]
[OPAC]