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学生に薦める本 2016年版
西山 茂
『小説「聖書」旧約篇、新約篇(The Book of God)』
- Walter Wangerin著、仲村明子訳 徳間書店 旧約篇1998.5 新約篇1998.6
私は信心深くないが、信心深くないゆえであろう自分にはない世界である宗教には興味があり、キリスト教や仏教、あるいは道教に関する本は結構な数読んできた。その1冊に30年以上前に買った本で、時々読んでは投げ出しまた読み始めるという「Asimov's Guide to the Bible」という(これもまた分厚い)本がある。キリスト教の勉強と英語の勉強を兼ねて買い求めて読み始めた本であるが、もともと聖書をほとんど知らないのだから、やたらあちこちでつっかえてなかなか読み進まない。もちろん英語という言葉の壁もある。そんな時に見つけたのが標題の本である。
本書は聖書を小説仕立てにしたもので、易しいとあるが、これでも相当難解である。
この本を読んで驚くことは、聖書の中の神様は1民族1地域(イスラエル、ユダヤ)の神様であって、他の民族には全く容赦がないということである。旧約篇には、他の民族を徹底的に殲滅するように神様が指示する場面が描かれている。到底日本人の神(仏)観からは理解できないものであると思う。肥沃な土地に生まれた日本人の神仏観と広大な荒地に生まれた人々の神様に対する考えは大きく違うのだろう。また、神は全能でありすべてを見通すとしていながら、人間に尋ねたり告白させたりしている。これもなかなか理解できない。さらに、神への捧げものとして動物(仔羊)を犠牲にする。自分の大事なものを神に捧げることで神への忠誠を誓うということであろうが、これも理解は難しい。
新約篇は、キリストの生誕と行動(癒し、救い(つまり奇跡)と預言)、および死と復活を扱っている。キリスト教の立場は、キリストは人間であり、キリストを通して神が力を示すということであろう。それにしてもこの本のキリストは非常に人間的に描かれている。怒り、悲しみ、安堵し、悩む。
キリストの預言は小説という枠組みの中で記されていてもなお難解である。多くの預言は私には理解できないものであった。
本書のキリストも「私はユダヤの神の使いだ」と言っている。中東の神様は非常に地域性、民族性が強いということに驚かされる。そうは言っても異邦人も救ってはいるが。なぜこのように民族性、地域性が強い宗教が世界中に広まったのか不思議でならないのであるが、本書の最後に、「悔い改め洗礼を受ければ、すべての人が救われる」と記されている。かなりの飛躍であると思う。
小説になっても、聖書は矛盾だらけのような気がするがそれも聖書の魅力の1つかもしれない。
キリスト教は世界に広く広まっている。欧米語を学ぶもの、異文化を理解する上では聖書は一読すべきであるといわれているが、本書は良いガイドになると思う。また、現在中東で起こっていることを理解するに良い本(特に旧約篇)であると思う。
本書は聖書を小説仕立てにしたもので、易しいとあるが、これでも相当難解である。
この本を読んで驚くことは、聖書の中の神様は1民族1地域(イスラエル、ユダヤ)の神様であって、他の民族には全く容赦がないということである。旧約篇には、他の民族を徹底的に殲滅するように神様が指示する場面が描かれている。到底日本人の神(仏)観からは理解できないものであると思う。肥沃な土地に生まれた日本人の神仏観と広大な荒地に生まれた人々の神様に対する考えは大きく違うのだろう。また、神は全能でありすべてを見通すとしていながら、人間に尋ねたり告白させたりしている。これもなかなか理解できない。さらに、神への捧げものとして動物(仔羊)を犠牲にする。自分の大事なものを神に捧げることで神への忠誠を誓うということであろうが、これも理解は難しい。
新約篇は、キリストの生誕と行動(癒し、救い(つまり奇跡)と預言)、および死と復活を扱っている。キリスト教の立場は、キリストは人間であり、キリストを通して神が力を示すということであろう。それにしてもこの本のキリストは非常に人間的に描かれている。怒り、悲しみ、安堵し、悩む。
キリストの預言は小説という枠組みの中で記されていてもなお難解である。多くの預言は私には理解できないものであった。
本書のキリストも「私はユダヤの神の使いだ」と言っている。中東の神様は非常に地域性、民族性が強いということに驚かされる。そうは言っても異邦人も救ってはいるが。なぜこのように民族性、地域性が強い宗教が世界中に広まったのか不思議でならないのであるが、本書の最後に、「悔い改め洗礼を受ければ、すべての人が救われる」と記されている。かなりの飛躍であると思う。
小説になっても、聖書は矛盾だらけのような気がするがそれも聖書の魅力の1つかもしれない。
キリスト教は世界に広く広まっている。欧米語を学ぶもの、異文化を理解する上では聖書は一読すべきであるといわれているが、本書は良いガイドになると思う。また、現在中東で起こっていることを理解するに良い本(特に旧約篇)であると思う。
『思考の整理学』
- 外山滋比古 筑摩書房 2011.9(電子ブック版)
この本は、1983年に刊行され、1986年に文庫本化された書籍を電子書籍化したものである。私は大学の授業や生涯学習で「考える力」という授業を行っているが、そのための調査の中で見つけた本である。今でも東大などの学生の間でよく読まれているとのことである。
「思考の整理学」とあるが、「思考方法」とした方がふさわしい内容である。「グライダー」から始まって、「発酵」、「時の試練」、「忘れる」等、33の項目で上手に考えるにはどうすればよいか、どう考えればよいかが書かれている。多くの項目に私は共感を覚える。
本学の学生にも是非一読して欲しい本である。
「思考の整理学」とあるが、「思考方法」とした方がふさわしい内容である。「グライダー」から始まって、「発酵」、「時の試練」、「忘れる」等、33の項目で上手に考えるにはどうすればよいか、どう考えればよいかが書かれている。多くの項目に私は共感を覚える。
本学の学生にも是非一読して欲しい本である。
『アメリカの小学校ドリルでおもしろいほど英語が身につく!』
- 松浦庸夫 インプレス 2015.4(電子ブック版)
(電子ブック版のみのため、所蔵していません。)
常々、我々が英語を学習するときに、決定的に欠けているものが小中学校で学ぶ様々な知識の英語での表現であると思っている。
この本は、アメリカの小学生が学ぶ国語(英語)、算数、理科、社会の知識を、クイズ形式で提示し、解答、解説を行っているものである。当然すべてを網羅しているわけではないが、なかなか勉強になる。
今はどうかわからないが、我々の頃は算数の数式の英語での表現法すら英語の時間に学んでこなかった。これは、外国人と交流を始めるとすぐに困ることである。どうも日本の英語教育というのはどこかおかしなことになっているように思う。
以下の4冊(3冊+雑誌記事)は、STAP細胞事件関連の本である。私はあの事件にひどく不自然なものを感じている。以下の4冊を読んで、あの事件が何だったのか、是非自分で考えてほしい。
この本は、アメリカの小学生が学ぶ国語(英語)、算数、理科、社会の知識を、クイズ形式で提示し、解答、解説を行っているものである。当然すべてを網羅しているわけではないが、なかなか勉強になる。
今はどうかわからないが、我々の頃は算数の数式の英語での表現法すら英語の時間に学んでこなかった。これは、外国人と交流を始めるとすぐに困ることである。どうも日本の英語教育というのはどこかおかしなことになっているように思う。
以下の4冊(3冊+雑誌記事)は、STAP細胞事件関連の本である。私はあの事件にひどく不自然なものを感じている。以下の4冊を読んで、あの事件が何だったのか、是非自分で考えてほしい。
『あの日』
- 小保方晴子 講談社 2016年
STAP細胞の事件には、大きな関心を寄せていた。このため珍しくこの本が出版されてすぐに購入した(流行ものには手を出さないという信念みたいなものがある。結構ミーハーであるが、ミーハーであるとみられたくないという心理が働いているようである)。
STAP細胞事件は、それが世に出れば大騒ぎになることは自明であるにも関わらず、(虚偽だとしてもそれが)大勢の優秀な研究者(論文作成者)の指の間をすり抜けて世に出てしまったのか、仮に、嘘だとしても、世の中に大したダメージを与えたわけでもないのに一人の研究者がここまで断罪されなければならないのか、私に様々な疑問が解けないまま残された。
本書は、その弾劾された第1著者(ファーストオーサー)が弁明を試みた書物である。
著書の最初の方では、著者の細胞実験に関する専門的な話が延々と描かれている。知識がないとかなり読むのに苦労する。知りたいのはどうしてあの事件が起こったのかであるから、なんでこんな話をと思ったが、実はこれが、後半への伏線であった。「私はこんなにまじめに実験に取り組んで来たのに、何らかの手違いや、上司とのコミュニケーションの齟齬などで、事件がデッチあげられた」というのが彼女の言いたいことであろう。
いろいろ説明が整合しないところもあるが、担当者がそれぞれ責任をもって自分に課せられたことをやらないと、こんなことになるだろうなと思わせられた。
この本では山梨大の若山さんが「裏切者」風に描かれているが、確かに報道で見る限り彼の言動には不審な点があったように思う。例えば、論文取り下げの助言をいきなりマスコミに発表するなど。
この本に対して、「自己愛にあふれている」とか、科学ライターと称するひとが、「小保方さんの論文は科学論文として全くなっていないのだから、この本も信用に値しない」との発言をしているが、あれだけ叩かれれば、自己愛にもなるだろうし、論文も書いたことがないような一介のライターが偉そうに言えるようなことでもないと思う。
私はどちらかというと「心情的小保方派」であるが、もう少しデータを集めてみたい。
いずれにしても、マスコミは叩き過ぎである。例えば、朝日の記者がサンゴ礁の棄損事件をデッチあげた方が、環境に重大な影響を与え、ひいては我々一般市民にも重大な被害を与えたのであるから、「捏造のジャーナリスト」という書物で十分に叩かれるに値するだろうと考える。マスコミはいつも自分にはきわめて甘い。
STAP細胞事件は、それが世に出れば大騒ぎになることは自明であるにも関わらず、(虚偽だとしてもそれが)大勢の優秀な研究者(論文作成者)の指の間をすり抜けて世に出てしまったのか、仮に、嘘だとしても、世の中に大したダメージを与えたわけでもないのに一人の研究者がここまで断罪されなければならないのか、私に様々な疑問が解けないまま残された。
本書は、その弾劾された第1著者(ファーストオーサー)が弁明を試みた書物である。
著書の最初の方では、著者の細胞実験に関する専門的な話が延々と描かれている。知識がないとかなり読むのに苦労する。知りたいのはどうしてあの事件が起こったのかであるから、なんでこんな話をと思ったが、実はこれが、後半への伏線であった。「私はこんなにまじめに実験に取り組んで来たのに、何らかの手違いや、上司とのコミュニケーションの齟齬などで、事件がデッチあげられた」というのが彼女の言いたいことであろう。
いろいろ説明が整合しないところもあるが、担当者がそれぞれ責任をもって自分に課せられたことをやらないと、こんなことになるだろうなと思わせられた。
この本では山梨大の若山さんが「裏切者」風に描かれているが、確かに報道で見る限り彼の言動には不審な点があったように思う。例えば、論文取り下げの助言をいきなりマスコミに発表するなど。
この本に対して、「自己愛にあふれている」とか、科学ライターと称するひとが、「小保方さんの論文は科学論文として全くなっていないのだから、この本も信用に値しない」との発言をしているが、あれだけ叩かれれば、自己愛にもなるだろうし、論文も書いたことがないような一介のライターが偉そうに言えるようなことでもないと思う。
私はどちらかというと「心情的小保方派」であるが、もう少しデータを集めてみたい。
いずれにしても、マスコミは叩き過ぎである。例えば、朝日の記者がサンゴ礁の棄損事件をデッチあげた方が、環境に重大な影響を与え、ひいては我々一般市民にも重大な被害を与えたのであるから、「捏造のジャーナリスト」という書物で十分に叩かれるに値するだろうと考える。マスコミはいつも自分にはきわめて甘い。
『捏造の科学者 STAP細胞事件』
- 須田桃子 文芸春秋 2014.12
私はマスコミに対しては極めて批判的である。マスコミの重要性を認識しないわけではない。しかし、いつも「国民の知る権利を守るために働いている」と言っていることが鼻につく。とてもそうは思えない、嘘をつけ、と。「自社のため、自分の地位・名誉のために働いている」となぜ言わないか。それでも批判はできるだろうし、正直であるとも思う。
本書もSTAP細胞騒動のクロニクルとしてはよくできている。全体に何が起こったのかを知るにはいい本であろう。小保方さんの本に比べれば、読みやすい。
しかし、気になる点も多々ある。
情報の取り方もその一つ。STAP細胞に否定的なものについては、「だれだれが~いっている」と書かれているが、その裏付けをとらずにそのまま使っている。一方、それに劣らずにたくさんあったはずのSTAP細胞に肯定的な意見はほとんど取り上げていない。否定的な意見はそのまま信用し、肯定的な意見はなぜ取り上げないのか。公平ではない。
データの取り方も相当強引であろうと推測される。例えば、論文の査読コメントをどこからか入手しているようであるが、こんなものはそう簡単に手に入るものではない。この本の著者にもそれを提供した人物にも不信感を抱く。コメントは著者(等)が読んで初めて生きてくるものである。いくら専門家に頼んだとしても、解釈に恣意入ることは避けられない。
著者も言っているが、この騒動の本質は、理研という組織のマネージメントの不在が引き起こしたものである。それに対する追及が緩い。きっとこれからの取材を考えてのことであろうが、STAP騒動の本質はそこにあると思う。個人を非難して済むことではない。
CDBの内部告発者を持ち上げているが、その一人は、SNSで不満を吐き出し、「この騒動が私の平穏な環境を壊した」と言っていると書かれている。内部告発すべてを否定するつもりはないが、あなたも平穏な環境を壊している一人だろう、組織に帰属しているならそれなりのマナーがあってしかるべきである。それが嫌ならやめたらいい、と思う。そのような人の意見に頼る取材というのは、「いかがなものか」。
STAP細胞騒動のようなものがなぜ起こるのか不思議であったが、著者も著書の後半で触れているように、2000年の初めに高温超電導の「シェーン事件」という論文捏造(現象捏造)事件があり、STAP細胞騒動はそれに大枠で類似している。だからまあ、起こらないことはないとは言い切れないようである。しかし、今活発に研究がおこなわれている再生科学の世界では、嘘は早晩ばれることは明白であり、さらに、嘘をどのように突き通していくのかということを考えれば、とても起きそうにない騒動である。本のどこかに、「虚構だとするとかなり精密なストーリーを考えておかなければならず一人の研究者でできるようなものか疑問に思う」という記述があったが、確かにそのように思う。
まあ、いずれにしても、個人を叩くのではなく、組織を叩くことが、イエロージャーナリズムでないジャーナリズム役割ではないのか。
本書もSTAP細胞騒動のクロニクルとしてはよくできている。全体に何が起こったのかを知るにはいい本であろう。小保方さんの本に比べれば、読みやすい。
しかし、気になる点も多々ある。
情報の取り方もその一つ。STAP細胞に否定的なものについては、「だれだれが~いっている」と書かれているが、その裏付けをとらずにそのまま使っている。一方、それに劣らずにたくさんあったはずのSTAP細胞に肯定的な意見はほとんど取り上げていない。否定的な意見はそのまま信用し、肯定的な意見はなぜ取り上げないのか。公平ではない。
データの取り方も相当強引であろうと推測される。例えば、論文の査読コメントをどこからか入手しているようであるが、こんなものはそう簡単に手に入るものではない。この本の著者にもそれを提供した人物にも不信感を抱く。コメントは著者(等)が読んで初めて生きてくるものである。いくら専門家に頼んだとしても、解釈に恣意入ることは避けられない。
著者も言っているが、この騒動の本質は、理研という組織のマネージメントの不在が引き起こしたものである。それに対する追及が緩い。きっとこれからの取材を考えてのことであろうが、STAP騒動の本質はそこにあると思う。個人を非難して済むことではない。
CDBの内部告発者を持ち上げているが、その一人は、SNSで不満を吐き出し、「この騒動が私の平穏な環境を壊した」と言っていると書かれている。内部告発すべてを否定するつもりはないが、あなたも平穏な環境を壊している一人だろう、組織に帰属しているならそれなりのマナーがあってしかるべきである。それが嫌ならやめたらいい、と思う。そのような人の意見に頼る取材というのは、「いかがなものか」。
STAP細胞騒動のようなものがなぜ起こるのか不思議であったが、著者も著書の後半で触れているように、2000年の初めに高温超電導の「シェーン事件」という論文捏造(現象捏造)事件があり、STAP細胞騒動はそれに大枠で類似している。だからまあ、起こらないことはないとは言い切れないようである。しかし、今活発に研究がおこなわれている再生科学の世界では、嘘は早晩ばれることは明白であり、さらに、嘘をどのように突き通していくのかということを考えれば、とても起きそうにない騒動である。本のどこかに、「虚構だとするとかなり精密なストーリーを考えておかなければならず一人の研究者でできるようなものか疑問に思う」という記述があったが、確かにそのように思う。
まあ、いずれにしても、個人を叩くのではなく、組織を叩くことが、イエロージャーナリズムでないジャーナリズム役割ではないのか。
『STAP細胞に群がった悪い奴ら』
- 小畑峰太郎 新潮社 2014.11
筆者は、週刊誌に寄稿するような、フリーランスのジャーナリストのようである。元来、フリーランスのジャーナリストの文はあまり信用しない方であるし、この著者は、科学が専門であるようにも思えない。しかし、この本は初めの予想よりははるかによく書けている(フリーランスを信用していないというのは、私が長く組織にいたためだろう。ちょっと反省しなくてはいけないかも)。
この本でも小保方さんは極悪人扱いである。3冊読んでくると、STAP細胞はどうも故意か過失かのいずれかで世に出てきたように思われる。しかし、小保方さん一人を血祭に上げるのはやはりどうかと思う。この前の読後感を須田さんの文章のように。
この本のよいところは、この騒動は組織的であり、組織に責任があるとしているところである。私はこれは全く意見を同じくしている。また、最高責任者の野依さんが前面に出ずに今でも理事長を務めていることを非難しているが、これも同感である。STAP細胞騒動は基本マスコミが作り上げた騒動であるが、それでもここまで大きくなって、管理責任が問われている状態では、やはり野依さんが無傷というのはおかしい。
また、STAP細胞騒動の原因を利権がらみであるとしているが、おそらくこれもその通りだろう。理研が税金で運営されている以上、この点については全ジャーナリズムが深く追求すべき問題だと思う。それが、ジャーナリズムの使命ではないか。
ところで、この本の最後に、「科学者」で「技術者」である、北海道大学の武田さんにインタビューをしている。この中で、“なぜを問わない”「技術(工学)」が科学の領域に踏み込んだために、STAP細胞騒動が起こったとしているが、冗談じゃない。技術は科学が発見した自然の法則を人間に利用できるように飼いならす仕事であり、その世界でも「なぜ」は極めて重要である。どのような学問でも、いや職業でも、なぜを問わないところに進歩はない。武田さんのインタビューでSTAP細胞騒動の本質がわかったという著者はやはり素人のフリーランスかと思ってしまう(失礼!!)。
ところで、STAP細胞論文が捏造であるとして、なぜ、発表によって世間が大騒ぎし、しかし、捏造がすぐにばれるという、至極簡単な事実があるにも関わらず捏造が起こってしまったのかは、3冊読んでも不明である。シェーン事件のように(低温超電導)一人でやっているのならまだしも多くの人間がかかわっているのに、である。
なぞは深まるばかりである。
この本でも小保方さんは極悪人扱いである。3冊読んでくると、STAP細胞はどうも故意か過失かのいずれかで世に出てきたように思われる。しかし、小保方さん一人を血祭に上げるのはやはりどうかと思う。この前の読後感を須田さんの文章のように。
この本のよいところは、この騒動は組織的であり、組織に責任があるとしているところである。私はこれは全く意見を同じくしている。また、最高責任者の野依さんが前面に出ずに今でも理事長を務めていることを非難しているが、これも同感である。STAP細胞騒動は基本マスコミが作り上げた騒動であるが、それでもここまで大きくなって、管理責任が問われている状態では、やはり野依さんが無傷というのはおかしい。
また、STAP細胞騒動の原因を利権がらみであるとしているが、おそらくこれもその通りだろう。理研が税金で運営されている以上、この点については全ジャーナリズムが深く追求すべき問題だと思う。それが、ジャーナリズムの使命ではないか。
ところで、この本の最後に、「科学者」で「技術者」である、北海道大学の武田さんにインタビューをしている。この中で、“なぜを問わない”「技術(工学)」が科学の領域に踏み込んだために、STAP細胞騒動が起こったとしているが、冗談じゃない。技術は科学が発見した自然の法則を人間に利用できるように飼いならす仕事であり、その世界でも「なぜ」は極めて重要である。どのような学問でも、いや職業でも、なぜを問わないところに進歩はない。武田さんのインタビューでSTAP細胞騒動の本質がわかったという著者はやはり素人のフリーランスかと思ってしまう(失礼!!)。
ところで、STAP細胞論文が捏造であるとして、なぜ、発表によって世間が大騒ぎし、しかし、捏造がすぐにばれるという、至極簡単な事実があるにも関わらず捏造が起こってしまったのかは、3冊読んでも不明である。シェーン事件のように(低温超電導)一人でやっているのならまだしも多くの人間がかかわっているのに、である。
なぞは深まるばかりである。
『対談 瀬戸内寂聴×小保方晴子 -「STAP細胞」騒動から2年』
- 婦人公論 PP76-82、中央公論社 2016.6.14
瀬戸内寂聴尼は、瀬戸内晴美という小説家である。この人は小説家として名を成した人でもあるが、多くの苦労をして仏門に入り、現在では多くの人から慕われている人物である。なんと、御年94歳である。
この対談は瀬戸内寂聴尼が雑誌婦人公論の連載で呼びかけてそれに小保方さんが答えて実現したのだそうである。完全に参っていた人が婦人公論を読んでいたというのは釈然としないものもあるが、それも運命というものなのかもしれない。
瀬戸内寂聴尼は、小保方さんを支援している。寂聴尼は多くの苦労をされ、人を見る優れた目を持っているだろうと考える。その人が「あなたを応援している」と言っているのであるから、それなりの重みがある。
STAP細胞騒動は多くのわからないことがあり、小保方さんの未熟さがそれを助長したという面があるが、私は多くは周りの責任であろうなと思っている。寂聴尼の言葉を信じたいと思っている。
この対談は瀬戸内寂聴尼が雑誌婦人公論の連載で呼びかけてそれに小保方さんが答えて実現したのだそうである。完全に参っていた人が婦人公論を読んでいたというのは釈然としないものもあるが、それも運命というものなのかもしれない。
瀬戸内寂聴尼は、小保方さんを支援している。寂聴尼は多くの苦労をされ、人を見る優れた目を持っているだろうと考える。その人が「あなたを応援している」と言っているのであるから、それなりの重みがある。
STAP細胞騒動は多くのわからないことがあり、小保方さんの未熟さがそれを助長したという面があるが、私は多くは周りの責任であろうなと思っている。寂聴尼の言葉を信じたいと思っている。
マスコミなどで喧伝されている経済の成長率は資本収益率を超えることはない(著者はr>gで表している)というデータから示されている、放っておけば経済格差は拡大する一方であるというのは、確かにこの本を読んで納得できた。むなしい気がする。ただ、著者は、資本(財産)に対して累進的に課税することで富の再配分が可能であるといっている。そうであれば、是非実現して欲しいものである。
最後に著者は、経済学は数学を駆使していることで他の学問の上にいると思っている(思われている)ことを批判している。僭越であるが私もそう思っている。経済活動は人間の活動であり、それがモデル化の極地である数学で簡単に説明できるなどとは思われない。私は経済学は心理学ではないかと思っている。
ちなみに英語版はパラパラと目を通す程度で済ませた。