学生に薦める本 2016年版

越智 敏夫

犯罪は魅力的である、などと学生に説いてよいわけがない。しかし犯罪について考えることは魅力的であるし、社会的に重要なことでさえある。世の中で犯罪とされる行為の境界について考えることは、その境界を作っている世の中や社会そのものを考えることになるからだ。ということで犯罪小説、五編。しかし並べてみたら全部翻訳ものだった。ごめんなさい。謝らんでもええか。

『犯罪』

フェルディナンド・フォン・シーラッハ,酒寄進一訳 東京創元社 2011.6(文庫版2015.4、原著2009年)
 タイトルどおり、犯罪をめぐる短編集。簡潔な文体のおかげもあり、あまりに読みやすく、あまりに面白いので内容には触れない。著者はバルドゥール・フォン・シーラッハの孫で、ベルリンで暮らす刑事事件専門の弁護士とのこと。などと書いても「バルドゥールって、だれ?」と返されるのが目に見えている。山下敬二郎は金語楼(『喜劇 駅前温泉』の怪演が好き)の息子、と紹介するのとおなじか。バルドゥールはヒトラーユーゲントのリーダーだった人。「ヒトラーユーゲントって、なに?」とは絶対に返さないように。ともかく、おもろいので、読め。
[OPAC]

『悪魔とベン・フランクリン』

シオドー・マシスン,永井淳訳 ハヤカワ・ポケット・ミステリ 1962.8(原著1961年)
 かのアメリカ独立戦争の闘士、凧あげ名人のベンジャミン・フランクリンが連続殺人事件に巻き込まれ、悪魔を仲間にしたというかどで追放どころかリンチにされかかる。彼はその嫌疑を晴らし、真犯人を発見できるのか。ミステリではあるが、なんといっても植民地時代のフィラデルフィアの風景や人間関係、文化、社会構造に対する描写がすばらしい。ベンにとってフィラデルフィアを離れることは人生が終わることだった。その意味では植民地のゾーン・ポリティコーンを描いているともいえる。のちのベンの行動を予感させる記述も多いので『フランクリン自伝』(岩波文庫)を先に読んでおくと吉。あ、ミステリとしては三つくらいのルール違反に目をつぶれば、そこそこ面白いです。
[OPAC]

『停電の夜に』

ジュンパ・ラヒリ,小島高義訳 新潮社 2000.8(文庫版2003.2、原著1999年)
 嘘をつくことは犯罪である。このロンドン生まれのベンガル系インド人女性はアメリカ合衆国ロードアイランド州で育つ。彼女がみずからのアイデンティティをどう思っているかは多文化社会の象徴のようによく語られる。しかし本作などを読んで圧倒的に面白いのは、そこに出てくる嘘の数々。嘘というのは敵ではなくて味方、それもいちばん近しい味方に対して発せられる、というのはハンナ・アレントが鋭く指摘したところ。この短編集に満ち溢れる嘘。多文化的属性ゆえか、人間が哀しい。相手のため、あるいは事態をまるくおさめるため、自分はいやいや嘘をついている、と思っている学生さんがいたら、マリアナ海溝よりも深く反省するように。ほんとはカウンセリングを受けるべき。でもそこまでは要求しない。
[OPAC]

『猫たちの聖夜』

アキフ・ピリンチ,池田香代子訳 早川書房 (1994年、文庫版1997.11、原著1989年)
 このピリンチはトルコ共和国イスタンブール生まれ、ドイツ育ちの男性作家。ラヒリとは異なる形で多文化社会を示す。そんでもってこれは猫の犯罪譚。主役である雄猫フランシスの人物(?)造形がよい。でもまあ猫社会が舞台だから、被害者も加害者も猫で、さらには連続殺猫事件なので、けっこう残酷に猫がつづけて殺されていく。そのあたり、人間がどんどん死んでも、読者はどうとも感じない軽い連続殺人小説もあるなか、設定を猫の世界にしたことで増す残虐性。これも多文化主義か。そのせいか、猫なんか好きでも嫌いでもない人間が読んでも面白いところが面白い。

『失踪当時の服装は』

ヒラリー・ウォー,法村里絵訳 創元推理文庫 新訳版2014.11(原著1952年)
 アメリカ、マサチューセッツ州、1950年3月3日、金曜日。とある女子大(スミス・カレッジがモデルらしい)の学生寮からローウェルという学生が消える。自分勝手な失踪なのか、誘拐、あるいは殺されたのか。ひたすら続く聞き込みと証拠調べ。警察捜査小説 Police procedural の里程標的傑作だそうです。探偵のキャラと気障な雰囲気(それらが必ずしも悪いわけではない)で乗り切ろうとして、捜査という大事なことが抜け落ちているのがハードボイルド。そのジャンルへの対抗作品の嚆矢。たしかに面白い。警察の捜査ってほんとはこんなに地味なんだろうなあ、と。ただ、実は新訳になったというので読んでみたところ、「つむじ曲がりもいいところです」(45ページ)などの表現が。これって今の若い衆に伝わるのか?
[OPAC]